「努力は報われない」のか – 視点
2月20日に閉幕した北京冬季オリンピック。大会期間中、世界のトップアスリートがしのぎを削る名勝負が繰り広げられた。なかでも印象深いのが、羽生結弦選手が挑んだ4回転半ジャンプ(4A)だった。
羽生選手はフィギュアスケートの王者。ジュニアを含む主要国際大会の全6タイトルを制覇した、男子唯一の「スーパースラム」達成者だ。
五輪3連覇に注目が集まるなか、彼は世界で誰一人成功したことのない“4A挑戦”を公言した。滞空時間約0.8秒内に1620度回転し、そのエネルギーを右足で受けとめ着氷するという、人間の身体能力の限界に近い究極難度のジャンプだ。しかし30度の回転不足と判定され、4位に終わった。演技後のインタビューでは「挑戦しきった、全部出しきった」「報われない努力だったかもしれないけど、でも……」と涙声で語った。
この「報われない努力」が波紋を広げた。ネット上には、羽生選手の挑戦する姿とともに、4Aが初めてジャンプとして正式認定されたことを称える声があふれた。しかし、結果にこだわるアスリートにとって、努力や挑戦を評価されるだけでは、「報われた」とは容易に思えないだろう。
「努力」にまつわる名言は多い。なかでも楽聖ベートーヴェンの「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している」は、よく知られている。とはいえ、格差が広がる現代。コロナ禍の影響もあり、懸命に努力しても報われない思いを募らせる少なからぬ若者にとって、成功者の姿に憧れても、刻苦勉励の人生指南としては受け入れにくいかもしれない。
お道では「つくし・はこび」「伏せ込み」「種まき」といった教えの実践により、日々の弛みない成人を目指す。いずれの信仰実践も、その誠真実を親神様がお受け取りくださると教えられる。すぐに結果は出なくても、だんだんと確かなご守護の姿が現れてくるのが天の理だ。それは迂遠にも思えるが、一人の人生を超えて、末代報いてくださる有り難い道である。
羽生選手の努力と挑戦によって人類未踏の地に道がついた。その歴史的偉業の重みを、やがて自身も実感するだろう。かつて彼は、こうも語っていた。「努力は嘘をつく。でも無駄にはならない」
(松本)