人と自然を守りたい – 日本史コンシェルジュ
東に太平洋を臨み、西は台湾海峡、南はバシー海峡に面する台湾最南端の屏東県は、農業が盛んな地域で、特にパイナップルは日本でも大人気。しかし、かつては乾季に雨が一滴も降らない干ばつが襲い、雨季は洪水を繰り返すという、農業には全く適さない土地でした。そんな不毛の大地を、今日の豊かな姿に作り変えたのが鳥居信平。静岡県袋井市出身の土木技術者です。
日本の台湾統治が始まったのは明治28(1895)年。当時、砂糖の国内消費量の98%を輸入に頼っていた日本は、食糧事情の改善と台湾の産業振興を図るため「台湾製糖」という企業を設立します。
その台湾製糖に招かれ、大正3(1914)年に信平は台湾へ渡りました。サトウキビ農場を広げるための土地の改良やかんがい施設の建設が、信平に期待された役割でした。
渡台から5年後、信平は屏東平原の東端の荒地、約2,200ヘクタールの開拓に挑むこととなります。重いリュックを背負って3,000メートル級の山々をめぐり、毒蛇や風土病の恐怖とも闘いながら、調査を続けること2年余り。勾配落差が激しく、しかも土壌は保水力が弱いという悲惨な調査結果に、信平は肩を落としましたが、ある日、素晴らしいひらめきを得ます。
川底の下には、乾季でも干上がらない伏流水が存する。そうだ、この伏流水を利用して地下ダムを造ろう! それは、豊かな湧き水で知られた袋井で育った信平ならではのアイデアでした。
地下ダムには、計り知れないメリットがあります。まず工事の規模が小さいので、費用が安く工期も短い。維持管理にも手間がかからず経済的。地下水が土砂で濾過されるので、大量の澄んだ水ができる。大雨でも濁らず、乾季にも干上がることがない。さらに動力を使わないから環境に優しく、生態系にも影響が少ない。
実は、この地域には、台湾の原住民族が清流を狩場や漁場として暮らしていました。地下ダムは、彼らの伝統文化や勇敢で純真な心に敬意を抱いた信平の、彼らの生活環境を守ってやりたいという思いの結実だったのです。
大正12(1923)年、日本初の地下ダム「二峰圳」が完成しました。以来、100年近く経つ今も、二峰圳は「南部台湾の宝」として人々の暮らしを支え続けています。自然と人への愛に溢れた先人の偉業は、私たちが持続可能な社会の実現を目指す上で大切なヒントを与えてくれますね。
白駒妃登美(Shirakoma Hitomi)