ひながたを踏んでおたすけを – 視点
厚生労働省が生活保護の被保護者調査を毎月行っている。年初は1月5日、昨年10月分の概数を報告した。内容は、生活保護申請件数や保護開始世帯数、当該時点の被保護世帯数や実人員数などだ。過去2年分の各月数値と前年同月比の伸び率も記載している。
これを見ると、伸び率が突出している月が4回ある。すべて新型コロナウイルス感染拡大に伴って、「緊急事態宣言」が発出された月だった。申請の前年比率は、たいていの月はプラス・マイナス4%程度までの間にあるが、初回の宣言が発出された令和2年4月は24.9%増だった。宣言2回目の3年1月から3月までは毎月7〜8%増、3回目の6月は13.3%、4回目の8月は10.0%の増加だった。新型コロナウイルスの影響によって生活が困窮している人が多くいるのは明らかだ。
コロナ禍の影響に限らず、いろいろな理由から生活が行き詰まったり、破綻を来したりする人がいる。生活保護以外に、行政はさまざまなセーフティーネットを用意しているが、対象となる人が制度を知らなかったり、手続きをうまく進められなかったりする場合はよくある。生活保護でいえば、申請手続きの前段階として、窓口である福祉事務所等での事前相談が必要になる。しかし自治体によっては、そこで3、4時間のやりとりを強いられることも少なくない。一人で適切に状況を説明できず、申請まで行きつけない人もいる。行政にも人員不足の場合があり、そうした現状において、ようぼくや教会長にできることは多いだろう。
困難な状況にある人が悩みを打ち明けたり、相談に乗ってもらいたいと考えたりしたとき、誰を選ぶのか。それは、つらさを理解してくれる人ではないか。
教祖は「表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ」と仰せになったという(『稿本天理教教祖伝逸話篇』5「流れる水も同じこと」)。貧乏せと仰った教祖のお心は、もとより貧乏そのものが目的ではなく、相手をたすけることにある。
そのお心を受け継ぎ、ひながたを歩む私たちには、困難に直面する人に寄り添うおたすけができるはずだ。
(松村登)