春の陽気に心ときめく 親神様へ心を向けていれば – 逸話の季
4月です。多くの場所で、新たな出会いが生まれる時季です。いまから四十数年前、友人たちに見送られながら、北海道の小さな町に別れを告げました。あれから何度、同じような別れと出会いを繰り返したことでしょう。
いまでもこの時期になると、まだ雪に覆われた、あの日の駅のホームが目に浮かびます。住み慣れた土地を離れて新天地へ向かう人たちにとって、不安と期待が入り交じる季節です。
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明治16年4、5月ごろのある日、一人の信者が餅を供えに来ました。これをお目にかけると、教祖は「今日は、遠方から帰って来る子供があるから、それに分けてやっておくれ」と仰せられます。すると、その日の夕方になって、遠州へ布教に行っていた人々が帰ってきました。途中の食事を辛抱しておぢばへの道を急いできた一行は、教祖の親心こもるお餅を頂いて、感涙にむせんだと伝えられています(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一一九 遠方から子供が」)。
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東海道線が開通し、鉄道の利用が盛んになるのは明治20年代以降のことです。このとき遠州から帰ってきた人々は、途中まで船を使ったとしても、基本的には徒歩で移動したはずです。昼ごろ伊賀上野に到着し、食事をしないで先を急いだと伝えられていますので、伊賀越えのかなり険しい道を通ったのでしょう。ここからおぢばへは、さらに40キロくらい山道を歩かなくてはなりませんでした。たぶん、かなり急いでも9時間くらいはかかります。
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足の疲れもさることながら、食事を辛抱して道中を急いできた人々にとって、教祖が用意してくださったお餅は何よりも美味しく、忘れられない味だったのではないでしょうか。
こちらが親神様のほうへ心を向けていれば、どこへ行っても必ず教祖が先回りをして私たちを支えてくださいます。だからこそ、どんなに遠いところへも不安を感じることなく赴くことができ、どれほど困難なときにも絶望することなく、新たな一歩を踏み出すことができるのです。
そう考えると、次のステップへ向かう勇気が湧いてきます。
文=岡田正彦
春の親里の様子が動画で見られます