第1回「教祖の親心」- 輪読会「いつもの暮らしに『諭達』の心を」
2023・6/14号を見る
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第17期 読者モニターアンケート企画
教祖140年祭へ向かう三年千日、ようぼくは「諭達第四号」に込められたお心を、どのように日々の暮らしに生かせばいいのか――。この輪読会では、「諭達」のお言葉をもとに、読者モニターたちが自身の体験や考え方を交えながら、三年千日の歩み方について語り合う。第1回のテーマは「教祖の親心」。「諭達」の中で「教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である」と示されるように、年祭活動の歩みは「教祖の親心」を感じることから始まるといえよう。そこで、今回は「教祖の親心」にまつわる読者モニターのエピソードを寄せてもらった。
にをいがけに歩くときの喜び
宮田敦彦さん(65歳・東川越分教会ようぼく・埼玉県川越市)
にをいがけに歩いているとき、最も教祖の親心を感じる。
訪問先で「天理教は素晴らしい宗教です。おぢばは、とても良い所です。親神様のお話を聞いてみませんか?」と、いくら話しかけても「そうですか。では、聞かせてください」などと簡単に答えが返ってくるわけではない。
一方で、何度お誘いしてもためらっていた相手から、突然「この日なら、おぢばへ行けます。よろしくお願いします」と連絡が来ることもある。そのときの気持ちは、言葉に言い尽くせぬ喜びがある。
教祖は、ここ一番という場面で、いつも背中を押してくださる。初席者をお連れし、教祖殿で心から教祖にお礼を申し上げる。そんな日が迎えられるように、三年千日を勇んで通らせていただきたい。
妻の背中を押してくださった
大塚徹さん(65歳・櫻地分教会ようぼく・奈良県香芝市)
妻が未信仰だったことから、以前は一人でおつとめを勤めていた。ところが9年前、私が大きな身上を頂いたとき、妻が自ら「別席を運びたい」と言ってくれた。
私のおつとめをする姿や日ごろの言動などから、少しはお道の教えに興味を持っていたのかもしれない。それでも、あのとき妻が私をたすけたいと思い、別席を運ぶ決心をしたのは、教祖が妻の背中を押してくださったからだと思えてならない。
妻は無事におさづけの理を拝戴し、夫婦そろってようぼくとなった。おつとめはもとより、おぢば帰り、ひのきしんなども夫婦二人で行えば、その喜びは倍以上になる。
私の節を通じて、教祖が妻の背中を押してくださったことに、感謝してもしきれない。教祖の親心にお応えするためにも、この三年千日の旬に、夫婦で一歩でも成人できるよう日々努めていきたい。
電車内も“おたすけの心”で
西方敬子さん(53歳・東日分教会ようぼく・東京都江戸川区)
おたすけの心を常に意識し、なかでも「電車の中で席を譲ること」を心がけています。
東京の地下鉄はいつも混んでいて、駅に到着するたびに、たくさんの人が乗り降りします。通勤で地下鉄を利用する際、運良く座れたとしても、乗客の中に妊婦さんやお年寄り、体の不自由な方などがいないかと見渡しています。
すると、かなりの頻度で席を譲るチャンスが。そのたびに「おたすけの機会を頂いた!」と、うれしい気持ちになります。ささやかな行動ではありますが、きっと教祖はお喜びくださっていると思うのです。
今春、二人の娘が同時に新社会人になりました。娘たちが元気に働けるのも、親神様から身体をお借りし、ご守護いただいているおかげです。親神様・教祖の親心をひしひしと感じながら、おたすけの心を行動に表したいと思います。
教祖殿へ足を運ぶたびに
久保大士さん(25歳・本部直属田原分教会教人・天理市)
教祖の親心を強く感じるのは、本部教祖殿で参拝するときだ。これまでも教祖殿へ足を運ぶたびに、その時々の自分にちょうどいい人と出会わせていただくことがあった。
ある日、友人の言動に不足を抱きながら教祖殿へ行き、教祖に自分の思いを申し上げた。その帰り道、尊敬するAさんに偶然遭遇。思いがけない出会いに、沈みかけていた私の心は一気に明るくなった。
心が明るくなると考え方が変化する。不足に感じていた友人の性格は、いつしか個性と捉えられるようになり、考え方の異なる友人と引き合わせていただいたことも、私の成人を促される親心なのだと思えるようになった。
教祖の親心に気がつくと、感謝の心が自然と湧き、再び教祖のもとへ足が向く。そして、また親心を身に感じる――。この繰り返しが、成人の歩みを進めさせていただくことにつながるのだろう。
お与えいただいた事情だすけ
櫻井幸浩さん(61歳・榮分教会栄立布教所長・東京都足立区)
14年前、先輩から「保護司にならないか?」と声をかけられた。「私に務まるのか」と思ったが、「これも親神様・教祖から頂いた務め」と思い直し、お受けすることにした。
保護司の務めは、面接を通じて対象者の更生保護をすること。しかし、当初は対象者に何を話せばいいか分からず、頭を抱える日が続いた。
そんななか、あるとき面接を始める前に、親神様・教祖に「どうか、困ったときはたすけてください」とお願いした。すると、不思議と心を落ち着けて面接することができた。以後、毎回お願いしてから面接に臨むようにしている。
親里で行われた保護司の研修会で、「“ようぼく保護司”の務めは、親神様・教祖から与えられた大変重要な事情だすけだ」と聞かせていただいた。教祖の道具衆として身を引き締め、これからもおたすけの心を胸に、対象者に寄り添っていきたい。
「やさしい心」を忘れぬよう
川田真紀子さん(48歳・玉島ロスアンゼルス出張所長夫人・アメリカ)
「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』123「人がめどか」)のお言葉を、いつも忘れないように心がけています。
元来、短気な性分で、相手をなかなか許せないことがあります。先日もアルバイト先のレストランで、お客さんの態度に腹を立ててしまい、お客さんが帰る際、「ありがとうございました」と言えませんでした。
後になって、どんな相手に対しても優しい言葉と態度で「ありがとう」と言うことができれば、私も相手も嫌な気持ちのまま一日を過ごさずに済んだのではないかと思い、反省しました。
ようぼくとしての自覚ある態度や声かけが意識できれば、それが自然とにをいがけ・おたすけにつながると思います。
教祖140年祭へ向かう三年千日では、教祖の親心にお応えできるよう、「こんなとき、教祖ならどうされるだろう」と、常にひながたを意識しながら努力を重ねたいと思います。
みんなのイチオシ
3月1日号から5月10日号までの天理時報の中から、読者の関心が高かった“イチオシ記事”に寄せられた感想を紹介する。
天理教校学園49年の歴史に幕 最終学年の卒業式を挙行(3月8日号1面)
天理教校学園高校のマーチングバンド部の演奏に勇ませてもらったことが思い出される。演奏は聴けなくなったが、心の沈んだときは思い出して、これからもようぼくとして頑張りたいと思った。(20代男性)
教校学園の歴史は幕を閉じたが、8千人以上の卒業生がいることは、今後も教内にとって大変な力になると思う。卒業生には、この学び舎で学んだことに誇りを持って生きてほしい。(70代男性)
「道のようぼくとして、その地域でその場所で『なるほど、あの人はお道の人だなあ』と手本になるような姿で過ごしてもらいたい」との宮森与一郎内統領の祝辞を読み、私もお道の御用のうえに、あらためて努めさせていただこうと思いました。(50代女性)