たすかりを願う日々を送るなか – 修養科の四季
第961期 関口冴奈さん 26歳・東京都・三ツ國分教会所属
4年前から、病院の作業療法士として、リハビリのサポートや施設へ入所するための業務に携わり、充実した日々を送っていました。ところが、だんだんと自分の知識や技術を高めることばかり考えるようになり、患者さんに心から寄り添えなくなりました。そして、人との接し方や関わり方、自分が何をしたいのかが次第に分からなくなってしまいました。
そんな折、職員検診の乳腺エコーで影が見つかりました。不安でいっぱいでしたが、検査後すぐに母がおさづけを取り次いでくれました。
その後の検査の結果は異常なし。ホッと胸を撫でおろしていたところ、母から修養科の志願を勧められました。
おぢばには数回帰ったことがある程度で、基本教理は全く知りませんでしたが、この機に、人との接し方や、自分自身を見つめ直そうという気持ちが高まり、修養科を志願しました。
お働きを感じて
慣れない修養生活に戸惑っていた1カ月目。クラスメートが急な身上で入院することになりました。突然の出来事に驚き、自分のことに精いっぱいだった私は、何もできず歯がゆい思いをしました。
その後、仲間と共に本部神殿でクラスメートのたすかりを願うようになりました。毎日祈り続けるなか、2カ月目になったころ、「身上」という教語の意味がだんだんと理解できるようになり、私自身の身上も、親神様からのお導きだったのではと感じるようになりました。
また、修養生活に慣れてきたことで、周囲の人を気づかう心の余裕も出てきました。感話やねりあいを通じて、仲間の悩みを知り、私にできることはないかと考えるようになりました。
しかし一方で、別席運び中だったため、身上の仲間におさづけを取り次ぐことができず、無力感を味わうことも少なくありませんでした。
そんななか、あるとき教養掛の先生に相談しました。すると先生は、おつとめは人のたすかりを真剣に願って勤めることが大切、と教えてくださいました。
思い返すと、当時の私のおつとめは、ただ手を振っているような状態でした。それからは、おつとめを勤める際の姿勢を改め、本部朝づとめで真剣にクラスメートのたすかりを願うようになりました。そして、授業後の日参も欠かしませんでした。
こうした生活を送るなか、3カ月目のある日、入院していたクラスメートが元気に戻ってくることができたのです。不思議なご守護に驚き、親神様のお働きを身に染みて感じました。その後、クラスメートと共に、無事に修了することができました。
修養生活を通じて、相手の心に寄り添い、人のたすかりを願うことの大切さを学びました。これからも、この心を忘れずに日々を送ろうとの決意を胸に、帰途に就きました。
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先日、身上を抱える母に、おさづけを取り次がせていただきました。
現在、再び作業療法士として働いています。患者さんの心に寄り添う日々に、以前とは異なる喜びを実感しています。