おやのことば・おやのこころ(2022年5月11日号)
あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』115「おたすけを一条に」
大教会で青年づとめをしていたときのことです。ようぼくのDさんは日ごろから、自分の畑で採れた野菜を神様にお供えしてくださっていました。その野菜を頂きに私がたびたび畑へ伺うと、Dさんは決まってこうおっしゃいます。「中田君、おたすけ人はなあ、野菜を作る者の気持ちが分からんとあかんで」。しかし、若かりしころの私は、その言葉の意味するところがよく分かりませんでした。
数年後、Dさんは重い身上により60代の若さで出直されました。それから数カ月が過ぎ、私はDさんの1年祭に自分なりに何かお供えをしたいと考え、大教会の敷地内に枝豆の苗を植えることにしました。私にとって初めての野菜作りです。おかげさまで苗はすくすくと順調に育ちましたが、その間、毎日様子を見に行っては手入れをし、台風が来た日などは株が倒れはしないかと気がかりで、雨の中を何度も行き来したものでした。そんなある日、はっと、Dさんが言っていた言葉の意味に気づいたのです。
おたすけ人は、たすけたいと思う相手のことを常に心にかけ、心配なことがあればすぐに足を運ぶ。それは心から湧き出る思いであり、行動であります。まさに野菜を作る人の心と一緒だと思いました。
1年祭当日、不揃いの枝豆をDさんの祭壇に供え、あの言葉を嚙みしめながら、心からお礼申し上げました。二十数年経ったいまでも、忘れられない思い出です。
(中田)