“ようぼく監督”が目指す一手一つのチームづくり 天理高野球部監督 中村良二さん – ヒューマンスペシャル
甲子園で春夏通算3度の全国制覇を果たしている天理高校硬式野球部。監督の中村良二さん(53歳・宮ノ陣分教会ようぼく)は昭和61年、天理高野球部の主将として「全国高校野球選手権大会」に出場。教祖100年祭の年の夏の甲子園で、悲願の初優勝を成し遂げた。その後、中村さんはプロ野球選手を経て指導者の道へ進むと、平成27年、同部監督に就任。今春には3年連続で「選抜高校野球大会」に出場するなど、指導者としての優れた手腕を発揮している。こうしたなか、先ごろ初の著書『選手と距離を置く理由』(竹書房)を上梓。高校野球の監督としての指導方法のほか、お道の信仰にまつわるエピソードも明らかにしている。天理の高校球児を夢の甲子園へと導く“ようぼく監督”の思いに迫った。
福岡出身の根っからの野球少年は、小学6年生の夏、雨の甲子園で懸命にプレーする天理高野球部の選手の姿に釘づけになる。光り輝いて見えた“紫のユニホーム”に、「これを着て野球したい」と強く思った。
野球に打ち込む傍ら、信仰熱心な祖母・みさきさん(故人)に導かれ、母・トキエさん(77歳・宮ノ陣分教会ようぼく)と所属教会の月次祭に参拝してきた。練習の合間を縫って「こどもおぢばがえり」に参加したことを、「教会の人たちとおぢばで楽しく過ごし、陽気ぐらしを実感した。でも正直なところ、当時は天理教の教えを全く理解していなかった」と振り返る。
野球とひのきしんの高校3年間
念願の天理高野球部に入部した中村さんは、腰痛に苦しんでいた。すると、教義科の先生が職員室でおさづけを取り次いでくださった。
そのとき「身上回復を願うだけでなく、ご守護に感謝し、恩返しをしなさい」と諭された。以後、おさづけの取り次ぎを受けるたびに、心定めなどの教理を教えてもらった。「大会前や身上を頂いたとき、『何日間』と心定めをして本部神殿で参拝するようになった。その後も日曜の早朝にひのきしんをしたり……。いつしかチームメートも一緒に、おつとめやひのきしんをするようになった」
また、野球部の生徒が「こどもおぢばがえり」のひのきしんに参加するようになったきっかけも、中村さんの提案だった。夏の甲子園予選と期間が重なるため、ひのきしんに参加できなかったが、「教祖100年祭の年で、みんな忙しそうだったので『僕たちもやります』と申し出た。それからは、夏の大会後のひのきしんを終えてから休みに入るのが“部のルーティン”になった」という。
さらに、中村さんは年末年始に帰省した際、所属教会に泊まり込み、当時、教会長後継者だった中隈禎昌・宮ノ陣分教会長とひのきしんに励んだ。
教えに親しむ高校生活を送るなか、野球部員としては、恩師である橋本武徳監督(故人)のもと、1年の秋からレギュラーに定着。3年夏の甲子園では、主将として深紅の大優勝旗を手に親里へ凱旋した。
名将と称された橋本監督は、7歳のころ父・良夫さんを亡くした中村さんにとって「父親のような存在だった」と述懐する。
「人との接し方、野球に対する見方、物事の考え方など、すべてにおいて橋本監督の影響を受けている。いまの指導方法も、選手の自主性を重んじる“橋本流”を受け継いでいる」
「教祖が喜んでくださるのなら」
ドラフト2位で近鉄バファローズ(当時)の指名を受け、プロ入りを果たした中村さん。初の著書『選手と距離を置く理由』には、プロ野球選手になった折の契約金を、母トキエさんが所属教会にお供えしたエピソードも記されている。
「『契約金はお母さんにすべて渡しているんだから、何に使ってくれても構わない』と言っていた私ですが、母が契約金から教会にお供えしていたのは、びっくりするほどの大金でした。(中略)しかし、巡り巡って人様のお役に立てているというのは、非常に嬉しいことです。こういう目に見えない不思議な循環を自分なりに経験しているので、選手たちには野球を指導するだけではなく、そういう部分にも目を向けさせ、成長させていきたいと思うのです」(『選手と距離を置く理由』から)
また、年末年始の自教会での伏せ込みひのきしんは、プロ入りしてからも、しばらく続けていたという。
プロ野球では、2軍で2度の打点王と3度の本塁打王タイトルを獲得。平成9年、11年間の選手生活にピリオドを打った。
引退後、シニアチームの監督に就任したが、「しばらくは、独りよがりな指導だった」と反省する。中学生が分かる内容を意識した「指導のシンプル化」、自身と選手との間にコーチを置く「選手と距離を置く指導」など、指導者として試行錯誤を重ねていった。
平成20年、天理大学硬式野球部監督に就任。26年、天理高野球部で3度目の監督を務めていた橋本監督のもとでコーチに就任すると、翌年に勇退した橋本監督の跡を継いだ。
いま、前述の二つの指導方法を基本にした「選手ファースト」を掲げている。橋本監督に倣って、選手が自発的に考えるよう促し、県大会のメンバーは選手間の投票で決めているという。
「選手には『技術だけでなく、学校、寮生活も頑張り、仲間に信用される人間にならないとだめだ』と伝えている」
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中村さんは数年前から本部神殿への日参を続けている。きっかけは、野球部の「白球寮」寮長を務める西尾弘喜さん(32歳・大狹深分教会長後継者)から「参拝に行ったら、教祖はすごく喜んでくださると思いますよ」と聞いたことにある。
「恥ずかしながら、それまでは困ったときや願い事があるときに参拝する程度だった。しかし、『教祖が喜んでくださるのなら、私にとってもうれしいこと』だと思った」
また、6年前のリオデジャネイロ五輪の際に、天理大柔道部OBの大野将平選手が“一日一善”としてごみ拾いを心がけていたことを知り、通勤時のごみ拾いを始めた。出張の際も宿泊先のホテルと駅までの間でごみ拾いをしており、「最近では外出するときに、家内が『ビニール袋、忘れているよ』と教えてくれるようになった」と笑う。
一方「グラウンド掃除は、ひのきしんではない」ときっぱり。
「お借りしている施設をきれいに使うのは当たり前。選手には、ひのきしんは別の部分で取り組もうと呼びかけている」
春のセンバツに続き、今夏の甲子園出場に期待が懸かる天理高野球部。中村さんが目指すのは、「一手一つ」の教えを体現したチームづくりだ。
「高校球児の夢は“甲子園での日本一”。選手それぞれが力を発揮し、その力を一つに合わせられるように支えて、夢を叶えさせたい。選手が一手一つに、一生懸命に努力できる環境を整えてやりたい」
文=内田和歩
写真=根津朝也
中村さんの著書『選手と距離を置く理由』
恩師・橋本武徳監督との出会い、プロ野球界での奮闘、試行錯誤を続ける指導者人生を振り返りながら、天理野球のエピソードを中心に“選手が主役の自主性育成論”を綴っている。