盗作はいけません?- 世相の奥
2023・7/19号を見る
【AI音声対象記事】
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自分以外の誰かがあらわしたものを、勝手に流用することは、いっぱんにゆるされない。盗作として、きびしくとがめられる。とりわけ、美術や音楽、また文芸などの世界では、指弾されてきた。
学界でも、事情はかわらない。学術論文の盗用は、禁じられている。悪どいそれについては、罰せられる。それで研究者生命をだいなしにする人だって、いないわけではない。
論文の場合は、自分じしんの仕事をひきうつすことも処罰の対象となる。一度まとめた成果を他の機会に流用すれば、業績の見せかけを大きくすることができる。自分の仕事ぶりを、りっぱによそおえる。自己剽窃が禁じられるゆえんである。
にもかかわらず、研究上の盗作はなくならない。むしろ、このごろはその摘発事例が多くなっている。
実態として研究不正そのものが、以前よりふえているとは思えない。ただ、かつてなら隠蔽された盗用が、SNSであばかれるケースはふえている。いわゆるAIが、不正流用の発見例を増加させていることも、いなめまい。ようするに、これまでとはちがい、かくしきれなくなってきたのである。
こうした事態をうけ、多くの大学や研究機関では対策をこうじだした。盗用をつつしませるために、いわゆる大学憲章をもうけるところも、少なくない。これこれは、不正にあたります。私どもは、こういうことに手をそめません。そんなきまりごとを、いろいろな研究組織がうたいあげるようになってきた。
興味深いことに、それらの文言は、けっこう似かよっている。同じような文句を、ことなる組織の条文に散見する。A大学、B機関……などの憲章を読みくらべ、自分たちの憲章を策定する。そういうところが多いから、こういう結果はもたらされたのだろう。
憲章の条文は、各大学で流用されている。盗用を禁止する文章そのものが、盗用のつみかさねによりととのえられてきた。なんとも味わい深い現象である。
AIを起動させれば、各憲章文が成文化されていく、その過程も見えてくるだろう。E大学のそれは、Bをベースにおいて、DとFからも言葉をかりている、などなどと。役所の作文では、流用が良しとされる場合もある。芸術や研究とは、ジャンルがちがうようである。
井上章一・国際日本文化研究センター所長