若葉の景色に心潤う 人生の節目に一歩を踏みだす – 逸話の季
5月になりました。私事ですが、この月は誕生月です。いつもは誕生日さえ忘れていますが、今年は節目となる還暦を迎えました。
人生の節目を意識しながら周囲を見渡すと、見慣れたはずの初夏の風景や鳥のさえずりなどに一層の愛おしさを感じます。春夏秋冬を繰り返す日々の中で、さまざまな人と出会い、いつしか夫となり父となり、ようやく人生の晩年の入り口にたどり着きました。今朝の青空と新緑は、いつも以上に目に鮮やかに映ります。
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文久元(1861)年5月6日、西田コトは歯痛の祈願に出かけた途中で噂を聞き、お屋敷に参詣しました。教祖は「よう帰って来たな。待っていたで」と仰せられ、さらに「一寸身上に知らせた」とて、神様のお話をお聞かせくださいます。コトが家へ帰るころには、もう歯痛は治まっていました。
しかし、4、5日経つと目が激しく疼いてきます。早速、教祖に伺うと「身上に知らせたのやで」とて、有難いお話を聞かせていただきました。それからコトは、お屋敷の掃除に通うようになり、信心を深めていきます(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「八 一寸身上に」)。
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逸話篇を拝読していると、教祖との出会いが、先人の方々にとって極めて大きな運命の転換点であったことを感じます。多くの人々が人生の分岐点となるような出来事を通して教祖と出会い、その出会いをきっかけに、「たすかりたい」と願う人生から「たすかってもらいたい」と行動する人生へと、自らの生き方を大きく変えていきました。
とはいえ、たとえ教祖から「よう帰って来たな。待っていたで」と声をかけられても、そのお言葉を主体的に受けとめ、運命を立て替える意思を持たなくては人生の道筋は変わりません。
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人生の分岐点に立って、次の一歩を踏みだす方向を決めるのは自分自身です。この逸話における先人の信仰は、自ら進んでお屋敷の掃除に通うことから始まりました。運命を転換する道は、劇的で特別な営みよりむしろ、教祖のお言葉をしっかり受けとめて、現在の自分にできる一歩を踏みだすことから始まるのでしょう。
文=岡田正彦
親里の5月の様子が動画で見られます