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これがいかんどれがいかん、たゞ身上悩んで居る者いかんと言うは何にも分からん。皆一人の煩いやない。
「おさしづ」明治40年5月4日
ツリガネニンジン
困っている人の手だすけをさせていただくことはできても、困っていない人の手だすけをさせていただくということは、思いもかけず難しいものです。
近年、水が滲むように拡がる若年層の心の病に、そう感じることがあります。
私たちは、誰が、何に困っているのかをよく見て、そのほうへ手を差し伸べなくてはなりません。
相談を受けて、「何かお困りですか?」と訊ねると、「私ではなくて、息子なんです」と言います。息子さんはあまり困っているようには見えません。
私ではなくて……。
手探りをするように、話すうちに「息子のことで……私たちまで、毎日、息が詰まるようで……」と、ふいに冷たいものに触れてハッと手を引っこめる思いがすることもあります。親神様が煩いを契機として、心の成人を望まれたのは息子さん一人ではなかったのかもしれません。
身上、事情は天からの手紙。おたすけ人は、親神様からの手紙に何が書かれてあるのかを読んで聞かせる役目がある、と先人は手紙に喩えますが、その手紙が、その家族の誰に宛てられたものなのかを、つまりは、まず宛名から読んであげられれば、なお親切だろうと思います。
(橋本)