AIと宗教の関わりに思う – 視点
2023・10/25号を見る
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いまやインターネットで情報を調べるのは当たり前になった。特にスマートフォンの普及が拍車を掛け、現代人は勉強や仕事、ニュースへのアクセス、買い物など、なんでもネットで行う時代である。
そしていま、情報社会は人工知能(AI)の登場で、さらなる大変動が起きつつある。米オープンAIが開発した生成AI「ChatGPT」は、何か質問をすると、ネット上の大量のデータに基づき、自然な文章で直ちに答えが返ってくる。また簡単な指示を与えれば、詩や短編小説を書いたりもする。それは情報検索のみならず、文化や社会活動にも影響を及ぼす革新技術として脚光を浴びている。
今後AIは進化を続け、その活用はさまざまな分野に広がるだろう。なかでも言論の分野は、人間の思考や行動に多大な影響を与えるがゆえに、その活用方法に懸念が示されている。
その一つに、AIと宗教との関わりがある。たとえば、「ChatGPT」を使って伝統宗教などの説教原稿を書くこともできるという。あるカトリック教会では、AIロボットが信徒との対話に応じている。またムスリム向けの礼拝アプリもあり、日本の寺院でもAIロボットが法話を行うと聞く。このように、宗教界も積極的にAIを受け入れる動きがある一方で、宗教の本質が損なわれるのではと憂慮する声もある。
一考すべきは、その技術や倫理の問題のみならず、信仰を伝える根本姿勢であろう。それは単なる情報伝達ではない。宗教の理解には教義の論理的な説明は必要だが、同時に、宗教体験によって得る実感は心の拠り所となる。教えの中身を味わって知り、体験して納得するものが信仰理解の要といえるのではないか。
お道では、教えを伝える手本は教祖のお姿にある。教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、それぞれの身になって分かりやすく説き聞かせ、あるいは筆に記し、また親神様のお働きを目の当たりに示し、身をもって行いに表して、うまずたゆまず教え導かれた。
いかに科学技術が進歩しても、AIは人間にはなれない。心の成人を目的とするこの教えには、人間同士が心を通わせ、身につけることが何より不可欠だと思う。
(加藤)