立教186年 秋季大祭真柱様あいさつ(要旨)
2023・11/8号を見る
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教祖の道具衆としてたすけ一条の使命に
秋の大祭を勤める元となった天保9年10月26日は、教祖が月日のやしろとお定まりになり、人間に対して親神様の思召を直々お聞かせくださるようになった最初の日である。
お話によると、この世の元初まり、世界がまだ一面の泥の海であったとき、親神様は人間というものを造って陽気ぐらしをさせ、その姿を見て、神も共に楽しみたいと思われた。
諦めることなく丹精して
ところが、長い年月の間に、人間は自由に使うことができる心の使い誤りから、わが身勝手な欲のほこりにまみれて、親神様の思召とはほど遠い、苦しみ悩みの多い世の中を生きなければならないようになった。
これではならんと、親神様は子供可愛い親心から、旬刻限の到来とともに、教祖を月日のやしろとお定めになり、最初造ったときのように、もう一度陽気ぐらしのできる人間となれるよう、心の入れ替え方をお教えくだされた。
この日を境に、教祖のおっしゃること、なさることは、すっかり変わった。それまでの教祖を知る人々には、そのなさることが理解できず、相手にされない時期が何年も続いた。
そのような中を、教祖は諦めることなく、根気よく、口で、あるいは筆に記して説き、さまざまな苦労の中を親神様の思召のままに身をもって歩まれて、ひながたをお示しくだされ、私たちを陽気ぐらしができるようにお導きくだされたのである。
私たちが教祖のひながたに思いを致すときに、教祖はあのときこのようにされたとか、このように仰せになったということを思い出して、よく参考にされることと思う。それはいいことだが、まず教祖は、50年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひながたとして忘れてはならないことなのではないかと思う。
教祖のお心に溶け込んで
昨年、私はこの場で、教祖140年祭への三年千日の活動に入るに当たって、「諭達第四号」を出した。
その中で、子供の成人を急き込まれ、定命を25年縮めて現身をかくされ、今も存命のまま世界たすけの上にお働きくだされている教祖の親心に応えるべく、ようぼく一人ひとりが教祖の道具衆の自覚を高めて、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖の年祭を勤める意義であるというように話した。
ようぼくは教祖の道具衆である。元初まりに、親神様に呼び寄せられた道具衆が、親神様のお心に溶け込んで、お心通りに動いて、人間創造のために役立たれたように、私たちは教祖のお心に溶け込んで、教祖のお心通りに素直に実行して、たすけ一条に励ませていただくことが使命であることを、あらためて確認し合いたいと思う。
そして、一人でも多くの人を、この道に引き寄せさせていただく努力とともに、その人たちが道具衆の自覚を持って、教えを実行するようになるまで辛抱強く心をかけていくこと。また、すでにようぼくになってはいるが、いま一旦休憩している人も、やはり一人でも多く、ようぼくの自覚を持って動いてくれるように働きかけを続ける努力も疎かにならないようにして、この年祭活動が盛り上がっていくようになればと思っている。
どうぞ皆さんには、これからも勇んで通ってくださることをお願いしたい。
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