「GDP4位転落」の報にふれて – 視点
2024・2/28号を見る
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日本の国内総生産(GDP)がドイツに抜かれ、世界第4位になった。GDPとは、国の経済規模を示す指標である。第2次世界大戦後の日本が掲げてきた「経済大国」としての威信を揺るがす事態と捉える向きもあろう。だが、このニュースを聞いて、驚いたり、落胆したりする日本人は、実はそう多くはないのではないか。
1990年代初頭のバブル経済崩壊後の日本は、「失われた10年」といわれる景気後退と長期不況を経験し、さらにそれが30年以上に延び続けている。バブル期の日本を知る者にとっても、「国家のプライド」はともかく、庶民の生活実感として、このニュースはごく自然に受け入れられるだろう。また、バブル期を知らない世代にとっては、そもそも「失われた」という感覚すらなく、GDP値の低下自体に実感は湧かないだろう。
一方で、より広い視点から、もはや「経済成長」という“神話”から脱却し、日本のみならず、欧米や中国もやがて迎えることになる「ゼロ成長社会」を見据えるべし、との見方もある。それは、利潤の極限化を目指さない資本主義のビジョンから、文字通り「脱・資本主義」を目指す立場まで、かなり幅はある。いずれにせよそこには、資本の暴走が貧富の格差や環境問題を深刻化させているという認識のもと、際限なき利潤の最大化を目指す人間の欲望を根本的に見直そうという問題意識が共有されている。
もちろん、私たちの経済活動全般が持つ現実的な意義を考えれば、国家の経済的な繁栄が国民の豊かな生活の実現につながると考えるのは当然だろう。とはいえ、ひとたび、これを教祖の「一れつきょうだい」の教えに照らせば、国別の経済規模を競うことに大きな意味は見いだせない。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』197「働く手は」では、「世界中、互いに扶け合いするなら、末の案じも危なきもない」と教えられている。
日本がGDPで世界第4位に後退した報に接したこの機会に、一度立ち止まり、“はたらく”ことは扶け合うことにつながるという教えの豊かな含意を、教祖のひながたからじっくりと思案してみたい。
(島田)