兄弟姉妹の交歓を – 成人へのビジョン22
2024・2/28号を見る
【AI音声対象記事】
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家に帰ると、私の留守中にあった、たくさんの出来事を子どもたちが聞かせてくれます。「お父さん見てー」。そう言って描いた絵や作った作品を持ってくることもたびたびです。彼/彼女は、自分が創りだしたもの、経験したことや感じたことを、親である私に伝えようと一生懸命です。「大事な人と共有したい」。それは人間にとって根本的な欲求の一つのようです。
私はそれらに耳を傾け、うなずき、目を通し、手で触れ、表情や言葉で応答します。「確かに受け取ったよ」。それは私たち親子にとって、何げない、些細な、忙しいとついなおざりになる、ありふれた幸福の姿です。
心理学者のアルフレッド・アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と考えました。私は同時に「人間の幸福もまた、そこにある」と感じます。きっと誰もが大小さまざまな幸せや悲しみを、人間関係から得ているのでしょう。
さて、A、B、Cそれぞれは、神様のご守護のもとに存在します。ならば、豊かさとは何でしょう?さらにDとEを加えることでしょうか。私が思うのは、そうではなく、関係性の豊かさです。
たとえば「夫婦仲良く」と言えば、夫を思う妻、妻を思う夫の両者の関係性を指します。どちらか一方だけではダメで、双方向のものです。対して「親孝行」は一方通行です。イメージするのは、子が親を思う姿。これを双方向にすると「親子団欒」。仲睦まじい親と子の姿が思い浮かびます。
「神人和楽」も親と子の団欒です。そこにあるのは、A、B、Cの単体では決して生み出し得ない、交歓の喜びです。
A─B─Cの間に見えない線がつながること。その線が太くなること。幾重にも重なり交わる、一れつ兄弟姉妹たち。没交渉では、ただ個々があるだけ。それを超える豊かで多様な関係性。恐れ多いことですが、もし私が神様なら、きっと自分が用意したもの以上の姿が見たい。自分の創造(想像)を超えるものを。
「人間の陽気ぐらしが見たい」という親神様の思召には「幸せを感じる存在(私)と、存在者相互(私と他者)の交歓とが、神様への最高の贈り物である」という含意があるのでは、と私は思います。そのとき私は、きっと「見て見てー」と神様に言うでしょう。
可児義孝