梅の花からの生命のメッセージ – わたしのクローバー
川村優理(エッセイスト・俳人)
1958年生まれ
仰ぎ見る古梅
奈良南部の文化財に、梅の庭があります。山麓の春は遅く、梅が咲き始めるころは、まだ凍てつくような寒い日が続いています。
庭にひときわ美しいのは樹齢300年を超える紅梅です。高さは3メートルを超え、満開になると、濃いピンクの八重の花が周囲の白壁やガラス窓にも色を反射させ、庭全体を美しく染めます。
この屋敷の初代当主が、町にやって来たころに植えられたものでしょう。長い年月の間に、いくつかの戦いの時代を越え、いくつもの災害をくぐり抜け、人々の人生を見てきました。
30年ほど誰も住んでいない時期もありましたが、その間は、伸びた枝が屋根を潰すほど太く大きくなり、花はほとんど咲きませんでした。
3年半の修理ののち、一般公開するようになり、梅の木に、また花が咲き始めました。
開館から十数年経ち、美しい梅は次第に有名になりました。開花を楽しみにしている人も増え、春が近づくと、「もう咲きましたか?」と尋ねる電話が届きます。
そのたびに、いつ咲くのだろうかと木を見上げます。とんがった花芽が赤く丸い蕾になると、今年の第一輪はいつ、どの枝に咲くのだろうと見回します。
咲く梅を待っていて、花が咲くということに新しい視点をもつようになりました。
これまで野にみる花たちは、私の気がつかないうちに、いつしか咲いていました。ところが仰ぎ見る古梅は、自分を囲む空という空間を、自分の内包する力で裂いて、そこに居場所を押し広げていくように見えるのです。
「花が咲く」とは
「花が咲く」という言葉は、人生にも使われます。仕事が成功して認められたとき、地道な努力が実って成功したとき等々。
そこに無かった居場所を、自分で切り開いたときも、「花を咲かせた」という言葉が当てはまるように感じます。ですから、努力なしにうまくいった場合は、「花が咲いた」と言わないのでしょう。
では、どんなに努力しても、がんばっても、成功や満足が得られないときは、どうすればいいのでしょうか。
長い年月がんばってきたのに、体調や家族の事情などで、目標のゴールにたどりつかないこともあります。
梅の古木は、その長い年月の間、同じ場所に立ちながら、どうやって苦しみや寂しさを越えてきたのだろうと想像しました。
災害や戦争の時代にも、折れたり倒れたり枯れたりすることなく、誰もいない庭で、誰かのためでもなく、ただ、じっと生かされて生きてきた。その強さこそが、梅の花に見る“ほんとうの美しさ”ではないかと思います。
咲く花はやがて散ります。でも大地に広がった根には、年月が宿っています。梅の木を讃える句を詠みました。
梅一輪空の真中に差し出され
花は、梅からの生命のメッセージなのです。