“救いの手”は長い時間軸で – 視点
日本で広く市民がボランティアに参加する契機となったのが1995年の阪神・淡路大震災であり、同年を「ボランティア元年」と呼ぶようになった。以来、ボランティア意識は一過性のものに終わらず、東日本大震災をはじめ、さまざまな災害の被災地へも大勢のボランティアが駆けつけている。いま、そうした救援・支援の意識は、多くの分野へ多面的に広がっている。
こども食堂、フード・バンクといった生活困窮者への食料支援、また生活支援や子育て支援など、それぞれのニーズに応える形で細分化し、活動も多岐にわたる。そうした”救いの手”は、うずくまる人が立ち上がるための力となるだろう。とはいえ、このような支援の広がりを救済面で深化させるには、もう一つの視点が必要なのではないか。
茶道の世界に「余情残心」という言葉がある。茶会が終わり、客人が去る。主人は客人の姿が見えなくなるまで見送る。茶の湯の真の作法は、その後に始まる。主人は席に戻り、一人で茶を点てる。もう客人は遠く去っている。余情残心とは、去ったその人のことをじっと思い続けることだという。見送ったら終わりではない。その人の先の無事や幸せに思いを馳せ、静かに祈るのである。
それは人生の時間軸を思わせる。過去―現在―未来。現在は過去の延長線にあり、未来は現在の延長である。宗教的救いには、現在だけではない長い時間軸が必要である。
本教でも、困難な状況にある人への支援の取り組みは広がりを見せている。その“救いの手”は、いま当人が抱えている困難に対して、どう支援するかにとどまらず、教えを拠り所に心の入れ替えを説き、当人が人だすけの道へと歩むよう丹精を重ねる例が多い。本当のたすかりへの道は、年限がかかるものである。
「たすけと言えば、皆修理肥やしの理である。(中略)だん/\の肥えを置く、根が差す、芽が吹く、芽が出る、又芽が出るようなもの」(おさしづ明治23年7月1日)
たすけを求める人に向き合う本教のおたすけ活動は、現在の困難を取り除くことだけでは終わらない、陽気づくめの世界へ導く”救いの手”なのである。
(加藤)