パンツと英語 – 世相の奥
2024・3/13号を見る
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とにかく明るい安村、という芸人がいる。
ステージには、極小の下着だけをはいて、水着かもしれないが、登場する。身体をくねらせると、それが見えなくなる。少したるんだ腹にかくれ、全裸であるかのような印象をただよわす。しかし、四肢をのばせば、股間だけをおおう衣裳があらわれる。そこで、ひとこと。「安心してください、はいてますよ」。このきめ文句で、笑いをとる芸人である。
さいきん、彼の出現が、イギリスの舞台で脚光をあびた。その様子は、私もテレビでたしかめたことがある。見ると、やっていることは、日本とかわらない。ただ、「はいてますよ」という台詞にたいする観客の反応は、ずいぶんちがう。あちらの人たちは「はいてます」の目的語を、全員で合唱していた。「パンツ!」と大声で。
このリアクションは、アメリカだとおこりえない。イギリスだからこその歓声である。
アメリカ英語のパンツはズボンをさす。下着類はしめさない。トレパン、トレーニングパンツというさいのパンツが、彼らにとってのパンツとなる。あるいは、ジーパン、ジーンズパンツのパンツでもある。下着の場合は、アンダーパンツやショーツと言いかえる必要がある。
いっぽう、イギリス英語では下着だけがパンツになる。ズボンはトラウザーズである。日本では柄パン、紐パンなどという時のパンツが、イギリス人にとってのパンツとなる。
英米の人びとは、たがいの相違を知っている。また、どちらも自分たちのほうが正しいという自負心を、いだいてきた。たとえば、ズボンがパンツになるアメリカのことを、イギリス人は見下している。
安村氏のステージに、みなで「パンツ!」と声援をおくる。イギリスの観客は、そんな掛け声の一瞬に、ナショナリズムを満喫していると思う。彼のはいているものこそがパンツだ。アメリカ人はまちがっている、と。
いずれにせよ、現代の日本には、英米どちらのパンツも存在する。トレパン的なパンツと紐パン的なそれが、同居している。パンツという言葉をめぐり、英米は日本で勢力あらそいをくりひろげてきた。このごろは、ややアメリカ英語が優勢になっている。安村氏は、そんな日本が世界へおくる、数少ないイギリス派かもしれない。
井上章一・国際日本文化研究センター所長