正しきことに使ってこその“力” – 手嶋龍一のグローバルアイ35
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「きょうは君が始球式で投げるんだよ。ファーストピッチの用意はできている?」
大谷翔平がドジャース球場でこう話しかけたのはアルベルト君だった。生まれながら心臓に疾患を抱え、生後13日目に早くも心臓手術を受けている。その後も腹部や心臓の手術を繰り返しながら、地元のリトル・リーグでは強打者として知られる。そんな野球少年の前に憧れのスーパースターが突然あらわれ、サイン入りのボールとユニフォームをプレゼントしてくれた。その後、大谷に伴われてマウンドにあがった彼が投げた球をキャッチャー役の大谷がワンバウンドでさっとすくいあげた。
アルベルト少年は「はじめは驚いて30秒ほど息ができなかった」と嬉しさを全身で表した。当初は、真美子夫人に始球式をという打診があったのだが、ふたりで相談してこの素敵なプレゼントを思いついたという。この出来事には見逃せないメッセージが込められている。アメリカの少年野球は、強豪高校に進む下部組織などではない。ベンチを温めたまま、試合に出られない選手がいないよう、選手数に上限を設けて皆が試合を楽しめるよう工夫している。さらにアルベルト君のように難病と闘う少年・少女も積極的に迎え入れてきた。大谷夫妻は、リトル・リーグが掲げる精神に共感し、彼を招いたのだろう。
筆者がホワイトハウスでインタビューするジョージ・W・ブッシュ大統領を待ち受けていた時だった。補佐官の女性が少年を伴って部屋にあらわれ、「大統領の椅子に少年を座らせてくれますか」と頼まれた。少年は重い小児がんを患っており、ファースト・レディのローラ夫人が招いたと後で知らされた。少年が入院していた小児がん専門の病院には付き添い家族が泊まれるホテルが併設され、全米から支援が寄せられていた。アメリカは強大な力のゆえに偉大なのではない。その力を正しきことに使ってこそ偉大なのである。野球の世界を超えて大きな存在となった大谷翔平は、あるべき強者の姿を世界に向けて示している。