里子の登校に付き添う朝 ありがたさが込み上げて – 家族のハーモニー
温かい心の友達や先生
「ねえ、まん丸の石見つけたよ」
「見て、この花は人の顔みたいだね」
私は毎朝こんな会話を楽しみながら、小学三年生の文也(仮名)を学校まで送っている。
文也には弱視などの障害があるため、安全を配慮して、入学以来続けている日課でもある。一人で登校した際に、電柱に頭をぶつけたり、路上駐車の大きなダンプカーに進路を阻まれ、戻ってきたりしたこともあった。
落ちている葉っぱや、通学路の家の塀際に並ぶ植物に興味を示して、しばらくしゃがみ込んでしまうこともある。そんなときは、彼のしたいように、しばらく付き合う。だから毎朝、少し早めに家を出るようにしている。
とあるマンションの前で、別の小学校に通う少女が文也を待っている。毎朝、同じ時間に会うので、いつの間にか友達になった。
「今日も会えたね。一緒に行こう」と文也に呼びかけ、そこからわずかな道のりを共にする。
少女は、ビニール袋に入った家庭のごみを集積場へ運んだり、ビンと缶の資源ごみを分別ケースに入れたりと、家の手伝いも欠かさない。
「いつもおうちのお手伝いをして、偉いね」と私が言うと、「今朝はお母さんが忙しいから、保育園へ行く弟にご飯を食べさせたんだよ」と、自慢げに話してくれた。少女の楽しそうな口ぶりから、とても健康な家庭であることが分かる。
やがて、二つに分岐する道路で少女と別れると、文也が通う学校の生徒が現れた。「一緒に行こうぜ」と文也の手を取り、共に駆けだす。
私の手から文也の手が離れ、小さな背中を見送りながら「気をつけてね」と声をかける。前方の校門には、生徒を出迎える校長先生の笑顔があり、一礼して帰途に就く。
文也を支えてくれる友達や先生方の心が温かくうれしい。
出会う人の幸せを願って
そんな思いに浸っていると、後方から「白熊さーん」と声が響いた。振り向けば隣町のY婦人。子犬を連れて散歩中のようで、足早に駆け寄り、「その節は、ありがとうございました」と会釈した。
昨年、ある事情を抱えた娘さんが、教会に通ってきていた。いまは地方の会社に勤め、母と娘は離れて生活している。
「娘さんは元気にしていますか?」と尋ねると、「あれだけ親に心配をかけていながら、いまはどこ吹く風。メールの返信も来ないわ」と小さくため息をついた。
「私には、お母さんがいてくれてありがたい、というメールが来ましたよ。お母さんの気持ちは、彼女の心にちゃんと届いていますよ」と言うと、「そうですね。あの子がいてくれるおかげで、幸せなんです」と、ようやく笑顔になった。
登校の付き添いは、文也の安全のために始めたことだが、往復30分の朝の散歩は、何よりも私自身の健康維持に欠かせない。そして毎朝、誰かと出会って言葉を交わすわずかな時間でも、その人の向こうにある〝家族の景色〞にふれられる貴重な時間でもある。
そのとき出会う人たちの今日一日が、健康で幸せなものであってほしいと願う。
数日前の往路、私は急にめまいを起こし、しばらく道端にうずくまっていた。いつもとは逆に、文也が私の傍らにかがんで顔を覗き込み、「お父さん、大丈夫?」と言って背中をさすってくれた。
文也には、周りの人の気持ちを察することができにくい障害特性もある。背中をさするその小さな手に、めまいのなかでも文也の大きな成長と温もりを感じて、ありがたさが込み上げてきた。
毎朝の付き添いは、神様からのご褒美がいろいろと感じられるひと時でもある。
白熊繁一(天理教中千住分教会長)
1957年生まれ