天理時報オンライン

本当の信仰者とはどんな人?- 身近で聞いた素朴な問いにWAKUさんがお答えします


イラスト/なんばなつこ

新聞配達のお兄さんとの立ち話のなかで、「職場に、ある宗教を熱心に信仰していると言いながら、わがままで周囲に迷惑ばかり掛けている人がいます。その宗教のことはよく知りませんが、あれで信仰者と言えるのでしょうか?」と尋ねられました。

その人の言っていることと行いとが違いすぎて、あきれているのでしょう。口でいくら立派なことを言っても、自分さえ良ければいい、今さえ良ければいいという態度はいけませんね。天理教では、相手の身になって、たすけ合うことが大切だと教えられます。ですから、自分のことよりも、いつもさりげなく周囲に気を配っている人が少なくありません。

およそどの宗教にも、教えの根拠となる原典、聖典といわれるものがあり、さまざまな教義書が信仰生活の指標となっていると思います。しかし、それを伝えるだけ、知っているだけでは、絵に描いた餅と同じですね。教えを聞き分けて心に治めることが大切であり、その教えを日常生活のなかで実行する人こそ、本当の信仰者と言えるのではないでしょうか。

神様のお言葉に、「反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの」とあります。親神様にとって世界中の人間は一人残らずかわいい子供で、たとえこの信仰の道に敵対心を持って、反対攻撃をしてくるような者でも、わが子であることに変わりはないと、大きな親心ですべての人を包んでくださっています。しかし、信仰しているという者でも、知っていながら教えを実行しないでいるならば、それは反対しているのと同じであると戒めておられるのです。

その親心にお応えするためにも、私もしっかりと教えを守り、日々実行していきたいと思っています。


西村和久(天理教一筋分教会長)