天理時報オンライン

「自分と未来」は変えられる – こころに吹く風の記


「過去と他人は変えられない」

カナダの精神科医、エリック・バーンの言葉です。この言葉がよく引用されるのは、ある人間の特性が見事に言い表されているからだと思います。つまり、人は往々にして、自分の不幸の原因を「過去と他人」のせいにしがちだということです。

「過去をやり直すことができればなあ」
「あの人さえ変わってくれればなあ」

そうなれば、もっと幸せな人生を送れるのではないか。そう思ったことは私にも覚えがありますし、似たような経験をお持ちの方も多いと思います。

絵・おけむら はるえ

私は、人が悩み事を心に受け入れ、消化していくには四つの段階があると思っています。分かりやすく「起・承・転・結」と名づけてみます。

まずは「起」です。悩み事のない人などいません。どんなに幸せそうな人でも、心の中に分け入ってみれば、悩み事の一つや二つは持っています。ここで、最初に述べた「過去と他人」が登場します。自分の悩みの原因を「過去と他人」に求めるのです。

「あのとき、なぜああしなかったのだろう」
「私が悪いんじゃない。あの人のせいだ」

私は、これが悩みの初期段階、第一段階だと思っています。とはいえ、この初期段階で止まっている人のいかに多いことか。私のところに相談に訪れる人は、ほとんどそうです。

しかし、残念ながら過去は変えられません。また、他人を変えようといくら忠告しても、それで自分の幸せは得られません。すべての面で自分の思い通りになる人など、この世に存在しないからです。たとえ一部分だけ変わっても、自分の思いと違う場面が出てくるたびに、また同じ悩みが登場します。

こういうことが繰り返されると、自分の不幸を「過去と他人」のせいにすることを諦めて、次の段階、すなわち「承」の段階に入る人がいます。

「これは私の宿命なのだ。抗っても無駄。受け入れるしかないのだ」

一見、この受け入れ方は悟りの境地、達観の域に達したように見えます。しかし本当に、それで納得できますか? 幸せになることを諦めて、心の底から真の元気が出てくるでしょうか。

私は、本当に悩み事を解決するには、ここからさらに二つのステップが必要だと考えています。一つは「転」、もう一つは「結」ですが、最後の結からまいりましょう。

「結」とは何か。それは「過去と他人」の対極に答えがあります。「過去と他人は変えられない」。この言葉をよく吟味すると、別の意味が浮かんできます。「変えられるのは自分と未来」だということです。

他人が変わる可能性があるとしたら、それはまず自分が変わること。気づかなかった面に気づく。当たり前だと思っていたことが、そうでないと気づく。その結果、喜べなかった相手のことも受け入れられる。そうなると、不思議と相手も変わってくれます。

そして、その瞬間から未来が変わり始めます。周囲は何も変わっていなくとも、少なくとも見える世界が変わってきますから、心に映る風景も変わって見えるはずです。あなたに真の笑顔は必ず訪れます。

その「結」を導くための「転」こそが、最大の要素です。「転」とは、切り替えのチャンスのようなもので、ときによって人との出会いであったり、かけられた言葉であったり、偶然目にした文章であったりします。そして悪いことに、この「転」は、つかみ損なうと一瞬で過ぎ去ります。“幸せの女神”を手放してはいけません。

さらに重要なことは、「起」も「承」も、この「転」を呼び寄せるために必要不可欠なものだったということです。無駄な悩みなど、この世にありません。すべてこの「転」を引き寄せるための、必要な苦しみだったのです。なぜなら、深い悩みを持っていない人には「転」は見えないのです。見えても心に残らず、「ふーん」で終わってしまいます。

このメッセージをお読みのあなた。私も誰かの「転」になりたくて、これを書いています。願わくは、明るい未来があなたに訪れますように。


茶木谷吉信(1960年生まれ・天理教正代分教会長・教誨師・玉名市元教育委員)