「柔道」から「ジュードー」へ – 心に効くおはなし
念願叶い、初めて天理大学柔道場に足を踏み入れることができた。
偶然にも、フランスのジュニア・ナショナルチームのメンバーが、天理大学の柔道部員たちと二週間の合同練習に励んでいるところに遭遇する。
天理柔道の“生みの親”でもある二代真柱・中山正善様は、海外の柔道を志す若者を天理に招き、柔道家として育てられてきた。彼らの多くは、本場で柔道のすべてを吸収することはもちろんだが、日本の伝統文化も学びに来ているのだ。
一九六四年、東京オリンピック柔道無差別級決勝で、日本代表の神永昭夫選手がオランダ代表のアントン・ヘーシンク選手に敗れたことは、日本人にとって大きなショックであった。当時、小学六年生だった僕は、学校の講堂で一生懸命に応援したことを思い出す。勝利の後も「袈裟固め」を解かず、神永選手を左懐に抑え込んだままのヘーシンク選手の右手が静かに上がる。それは勝利に狂喜した自国オランダの応援団を制するためだったという。
そのとき僕らは、柔道の精神には、世界へ羽を伸ばし続ける未来があることを感知した。「柔道」からグローバル・スポーツとしての「ジュードー」への始まりだったように思える。
ヘーシンク選手は天理大学で稽古に励んだと聞く。多くの先達が歴史の礎になってくれていることに、ここ天理であらためて感じ入った。