第23話「海はもう一つの地球」– ふたり
夏休みが近づくと、ビョーンさんの店を訪れる客の数が増えてくる。スクールのほうも忙しくなる。はじめてサーフィンを習うという人のなかには、若い女性や家族連れが多かった。ビョーンさんに頼まれて、カンもときどき子どもたちの相手をする。
海は太陽の光にきらめいている。何もかもが笑っているように明るい。カンは子どもたちを連れてボードで少し沖に出る。波の上で質問をする。
いちばん興味のあることは?
ピアノ。部活。英語。ユーチューブ。美容師。相撲……。
すもう?
近くではビョーンさんが波をつかまえるタイミングを教えている。簡単な説明のあとで、実際にやって見せる。波をつかまえて素早くボードに立ち、そのまま十メートルほど滑る。さっそく一人が挑戦する。バランスをとりながら、こわごわと立ち上がった途端にひっくり返る。まわりの子どもたちが一斉に歓声を上げる。
わたしはトトのボードに乗ってはじめて海に出た日のことを思い出す。水のなかを覗き込むと、浅い海底の砂にも波が揺らめいていた。それは水の動きによってできる波の分身たちだった。水面の波が降り注ぐ太陽の光を散らして、砂の上に波状のモザイク模様をつくり出している。その上を小さなすばしこい魚たちが泳いでいく。
あの夏の日、何も失われず、すべては水のきらめきとともにあった。誰もがはつらつとして、元気で若かった。それから何年もの歳月が過ぎ、少年だったカンは大人になった。トトを失ったハハは、最愛の人のいない歳月を年老いた。
波は静かに打ち寄せている。同じように見える波にも、二つとして同じものはない。ときに激する波も、いまはやさしく浜辺を洗っている。「不思議だね」。砂の上に腰を下ろしたビョーンさんが言った。「バルト海しか知らなかったわたしが、日本の海で泳いだりサーフィンをしたりしている。でも考えてみると、海って大きな水たまりなんだよな」
カンは何も言わずに、遠い海の彼方を見ている。
「海はもう一つの地球って感じがするね」
いつかカンが話してくれたことがある。水のなかに入り、目を転じて海面を見上げてみると、思いがけない風景が広がっている。青空をバックに、砕けた波の泡が入道雲のように揺らめいている。そんな不思議な情景を、カンと一緒に見たような気がした。
作/片山恭一 画/リン