“時の守護”を生きる – 成人へのビジョン6
夏休みの宿題に取り掛かるのは、いつも決まって始業式の直前。終わらない宿題の山を前に、かつての僕は泣きながら取り組むのでした。
同じ宿題でも、初日に終わらせる子、計画的にこなす子、慌てるはめになる子など、取り組み方は人それぞれです。でも、締め切りは平等にやってくる。今日は小欄の原稿締切日。「勝負はここから」です。
人は締め切りが迫ると、ほかのことを自然と考えなくなり、集中力が高まります。心理学でいう「締め切り効果」です。最大の罠は「時間はまだある」という感覚。それは大切なことを「先延ばし」させます。
人はいつか必ずこの体を神様にお返しします。夜なしに昼の概念が存在しないように、死のない生は存在しません。しかし人は、その期限を知らない。いわば私たちは締め切りを知らずに生きている。一番肝心な、かけがえのない、この生の締め切りを――。
思うに、それは神様の愛情です。確実な死期を告げられると、私たちは極度の緊張を強いられて、毎日を楽しく暮らせそうにありません。
一方、身上の障りや事情のもつれは、半ば強制的に自身の生き方や他者との関係を顧みるように仕向けます。そのとき、日常の時間を送ることはできませんが、それゆえ人は、普段は意識しない大切なものと向き合うようになります。先延ばしにしていた、本当に大切なことに集中する。普段は出ない力が湧く。それもまた、神様の愛情ではないでしょうか。
「その時と所とを与えられる元の神・実の神にています」(『天理教教典』)。のんびり暮らす人、懸命に目標に向かって走る人、それぞれ流れる時間は違っても、誰もが“時の守護”という大きな親心に抱かれている。その人に与えられた時間を生きている。土中に埋もれた種はただじっとしていますが、それも発芽に向けた大切な時間なのです。「旬」も「節」も、自分でつくれるものではありません。その人にとってのベストタイミングは用意されています。焦らず急かさず、安心して生きてゆく。それもまた、私たちの信仰姿勢だと思うのです。
可児義孝