往時の稔りの風景に思い馳せ – おやさと瑞穂の記 その6
おやしきの北東には、教祖のご在世当時の風景を彷彿させる豊かな田園風景が広がり、親神様にお供えするお米が昔ながらの方法で栽培されている。今回は「収穫前の風景」を紹介する。
10月に入ると、たわわに稔った稲穂が頭を垂れ、田んぼ一面が黄金色に染まり始めた。
教会本部管財部の担当者・森本孝一さんに聞くと、今秋のおやさとの田んぼは、心配していた台風の影響も小さく、お米の出来はまずまずとのこと。
田んぼの真ん中には、いつの間にか案山子が立てられていた。台風の脅威は免れたが、今度は、稔ったお米を狙ってスズメが毎日のように飛来する。収穫までは、まだ安心できない。
ニッコリ笑顔のユニークな案山子は天理小学校児童の手作りによるもので、今年は6体寄贈された。
春の田の整備から始まり、苗代づくり、田植え、夏の間の修理と、これまでの丹精の過程を振り返ってみると、「粒々辛苦」という言葉が思い出される。私たちが頂くお米の一粒一粒が農事をされる方々の苦労の結晶であり、親神様の妙なるご守護の賜物なのだ。
思わず、夕日に向かって、目の前の稔り豊かな風景を丸く切り取るように、みかぐらうた一下り目八ッの「ほうねんや」の手振りをしてみた。天然自然に遍く行きわたる親神様のご守護を感じて、有り難さで心が満たされる。
みかぐらうたは、「九ッ こゝまでついてこい」「十ド とりめがさだまりた」と続く。「取り目」とは、収穫量のことである。このお歌と手振りは、お米づくりもここまで来て、ようやく十分な収穫ができる目途が立ったという安堵と喜び、そして感謝の心を表しているのではないかと思った。
田園の向こう側には、おやさとやかたが視界に入るが、ここからの豊かな稔りの風景は、教祖のご在世当時から変わらないであろう。つとめ場所で教祖が直々に「てをどり」を教えられた当時に想いを馳せる。
10月中旬に差しかかると、いよいよ稲刈りが始まる。この田んぼでは、田植えがそうであったように、稲刈りも人力で行う。次回は、多くのひのきしんの手が集まって賑やかに行われる収穫の様子を紹介する。
(文=諸井道隆)
下記URLから、「おやさと瑞穂の記」の過去記事を見ることができます
https://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/oyasato_mizuho.pdf