桜を仰ぎ想う “希望の力”で旅立つ – 逸話の季
いまや春の親里は”桜の名所”。なかでも3本のしだれ桜は、その大きさといい姿形といい、見事のひと言に尽きる。真に良きものは心を誘う。人も然り。桜を仰ぎながら、「なるほどの人」という言葉を想う。
4月です。新しい年度の始まりです。昨日までの自分に別れを告げ、新しい自分の可能性を見つける季です。
今年も日本中でたくさんの子供が新1年生になり、数多の学生が新社会人として羽ばたいていきました。長年勤めていた会社を定年退職し、新たな一歩を踏み出す人もいるでしょう。『天理時報」も、この4月からタブロイド判になります。
4月の出来事を記した教祖の逸話の一つに「四二 人を救けたら」があります。明治8年4月に、福井県山東村菅浜の榎本栄治郎という人が、教祖からお言葉をいただくエピソードです。
娘の病の平癒を祈って西国巡礼をしていた栄治郎は、茶店の老婆から「庄屋敷村には生神様がござる」と聞いてお屋敷を訪れ、教祖から、
「早ようおかえり。かえったら、村の中、
戸毎に入り込んで、四十二人の人を救けるのやで。なむてんりわうのみこと、と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで。人を救けたら我が身が救かるのや」
というお言葉をいただいて村中の家を回り、2人の平癒を拝み続けます。すると不思議にも、娘はすっかり全快のご守護をいただきました。
42人の平癒を祈る。決して不可能な人数ではありませんが、はたして自分に実行できるでしょうか。私はかつて、この地を訪れたことがあり、そのとき、実際に地域を歩いて「村の中、戸毎に入り込」むという逸話の一節について考えました。2人の家を訪問するだけでも途中で心が折れそうです。それに、一人に声をかけることさえ容易でないことは、身に染みて分かっています。この人の行動の原動力は、いったい何だったのでしょう。
教祖からお言葉をいただいた栄治郎は、まだ娘の病は平癒していないのに、「心もはればれとして」出立したそうです。このとき彼の心を満たしていたのは、「人を救けたら我が身が救かる」という希望だったのではないでしょうか。
私はこの出立の描写が、とても好きです。新しい旅立ちを可能にするのは、やはり”希望のカ”なのだと思います。
■文=岡田正彦 天理大学宗教学科教授
以下より2021年の親里のサクラが動画で見られます