梅雨の終わりに お言葉と共に生きる – 逸話の季
7月になりました。ようやく、長い梅雨が明けそうです。
照りつける日差しは、日に日に厳しさを増してきました。夏の太陽に照らされた道の向こうに青空が広がり、白い雲が湧き上がっています。
今年の夏は、いったいどんな夏になるのでしょうか。昨年来、先の見通しがきかない状況が続いてきました。それでも青い空と白い雲を見るとワクワクしてくる、そんな季節です。
*
7月の出来事を記した逸話に、「一〇三 間違いのないように」があります。
明治15年7月、コレラを救けていただいた小松駒吉は、泉田藤吉に連れられて、初めておぢばへ帰りました。このとき教祖は、駒吉にお守りを手渡されるとともに「年は十八、未だ若い。間違いのないように通りなさい。間違いさえなければ、末は何程結構になるや知れないで」と仰せられました。
駒吉は、このお言葉を一生の守り言葉として、しっかり守って通ったと伝えられています。
*
いわゆる立志伝中の人物の生涯をたどると、多くの場合、その人生を支えた言葉に出合っています。過去の先人が残した金言を心の糧として、試練を乗り越えた人もいます。あるいは、身近な家族や友人の言葉が、苦難を乗りきる力を与えてくれたこともあるでしょう。
ひと言の言葉が人の心の向きを変え、それが人生の分岐点となる。のちに人類史に大きな影響を及ぼすような人物が、金言と出合い、心の向きを変えることで、世界の歴史は大きく変わっていったのでしょう。
*
言葉には、未来をつくり世界を変える力があります。人生を支える言葉は、あるときは人の背中を押す力になり、またあるときは、行き過ぎを戒めるブレーキにもなってくれます。“人生の伴侶”となる良き言葉と出合えた人は、それだけで幸せの半分を手にしているのかもしれません。
教祖のお言葉、神の言葉と共に生きる人生を与えていただいた私たちは、その幸せを嚙みしめながら生きるべきでしょう。そのとき、「末は何程結構になるや知れない」という約束は、すべての人に共通する未来になるはずです。
文=岡田正彦 天理大学宗教学科教授
この写真をプレゼントします。詳細はこちら