おやのことば・おやのこころ(2021年11月3日号)
このよふのしんぢつのをや月日なり
「おふでさき」六号102
なにかよろづのしゆこするぞや
岩手から車でおぢばへ向かう道中のことです。福島県と新潟県を結ぶ磐越自動車道は、片側一車線が多い高速道路。深夜に走行中、対向車線を走る特大サイズの大型トラックが、300メートルほど前方で中央分離帯を乗り越え、私たちの正面に向かってきました。
一車線のため十分な逃げ場はありません。このままでは衝突してしまう。私は中央分離帯ぎりぎりまでハンドルを切りました。トラックも反対側に寄せ、ガードレールをすりながら火花を散らして走ってきます。車内に響く叫び声。まさに間一髪、私たちは辛くも接触することなく、すれ違いました。しばし放心状態。誰も声が出ません。おかげさまで、無事におぢばへ向かうことができました。
大惨事に遭うも、無い命をたすけていただいたら、親神様の大きなご守護を誰しも感じます。一方、あわや大惨事に遭うところを、何事もなく平穏に収めていただいたら、それ以上のご守護でありましょう。さらに言うと、日ごろ私たちが気づかないだけで、実は大きな災難と紙一重の瞬間を、無事無難にお守りいただいているのではないでしょうか。目に見えないご守護に気づき、感謝することが大切ですね。
私は片道1,000キロの道のりを毎月、数十年も無事におぢばへ帰らせていただいています。これは決して当たり前ではなく、親神様の結構なお守りにほかならないと、あの夜のことを思い出しては身に染みて感じています。
(な)