新型コロナの終息のお願いづとめ – 今こそおぢばにひと粒の種を
教会本部は11月1日、本部神殿でお願いづとめを勤めた。
このお願いづとめは、新型コロナウイルス感染拡大の終息と罹患者の平癒をあらためて願うとともに、お互いの心を一つに合わせてご守護を願う意味を確認するもの。今年4月から、毎月1日正午に本部神殿で勤められている。
当日、感染拡大を防止する対策として殿内の参拝者を制限するとともに、南礼拝場前にパイプいすが設置された。
定刻正午、中山大亮様は、宮森与一郎・内統領と共に神殿上段へ参進。大亮様が拍子木を、宮森内統領が数取りを務めて、お願いづとめが勤められた。
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おつとめに先立ち、宮森内統領があいさつを行った。
宮森内統領は、コロナの蔓延で対面によるコミュニケーションが難しくなったことを踏まえ、「私たちのおたすけは、相手の事情や身上の苦しみを肌で感じ、言葉で癒やし、寄り添い、おさづけを取り次ぐ。優しい声をかけて人を勇ませることから、おたすけは始まる」と強調。「独り成りて来ると言えば、放って置いてもと言う。そうではない。一度の声、二度の声、三度声、これ集まれば成って来る。一度一寸始め。一寸声。これだけ話して置こう」(明治26年9月29日)との「おさしづ」を引き、電話やメール、リモートを駆使して気持ちを伝えたいと努めることは素晴らしく、活用していきたいと述べたうえで、「でも、直接の声かけは全く空気が違うような気がする」として、「コロナで断ち切られた人と人との関係を、なんとか修理・修復していきたい」と語った。
続いて「一粒の種を埋る。種を蒔いたるその方と言うてある。種を蒔いたで、修理一つの理出来た。種を蒔いて修理思やん」(明治32年5月10日)との「おさしづ」を引いたうえで、声をかける、にをいを掛けることができる姿に修復・修理していくためには、種を埋める必要があると指摘。今こそ一本の草引き、少しの回廊拭きからでも、ひと粒の種をおぢばに埋っておこうと一同に呼びかけるとともに、「この種が必ずこの先、花が咲き、実の成る姿になるはずである。人と人との関係を修復してくれるはずである」と話した。