“たすけの旬”に3度の手術 てびきを実感し成人の道へ – 信心のよろこびスペシャル
2026・4/22号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
竹谷純子さん
57歳・明紀分教会ようぼく・大阪府藤井寺市
大阪府藤井寺市の竹谷純子さん(57歳・明紀分教会ようぼく)は、ようぼく家庭に生まれ育った信仰3代目。29年前に未信仰の夫と結婚後、神実様を祀る実家を離れたことをきっかけに、次第に信仰への意識が薄れていった。こうしたなか、2025年2月に見せられた卵巣の身上を皮切りに、1年間で4度の入院と3度の手術を経験。たび重なる節に心を倒しそうになるなか、夫と共に久しぶりに所属教会に参拝した。そのとき、同じく闘病中の教会長夫人の言葉をきっかけに、自らの心を見つめ直し、心定めを実行に移す中で、大難を小難にお連れ通りいただいた。教祖140年祭へ向かう“たすけの旬”に、相次ぐ節から親神様のてびきを実感し、成人の道へと歩みを進める竹谷さんが、いま感じる“信心のよろこび”とは――。
「身の周りに起きること、すべてが親神様のメッセージ。今日、そして明日を、大切な人が結構にお連れ通りいただけるよう、地道に信仰実践を重ねていきたい」
4月某日朝、自宅の居間で、おぢばの方角へ向かい、深くぬかずく純子。親神様・教祖に日々のお礼を申し上げた後、心を込めておつとめを勤める。
おつとめを通して心のほこりを払い、人々のたすかりを願う中で、親神様・教祖の“温かな後押し”を感じながら、今日も純子の一日が始まる。
結婚を機に実家を離れて
教友との関わりも減り…
信仰3代目。大阪府内の熱心なようぼく家庭に生まれた。毎月の講社祭はもとより、両親と共に和歌山にある所属教会の月次祭に参拝し、中学生時代には少年ひのきしん隊に参加するなど、「信仰が常に生活の中に息づいていた」。社会人になってからも、講社祭や教会の月次祭に都合のつく限り参拝し、お道とのつながりを求めてきた。
転機が訪れたのは29年前。未信仰の夫と結婚し、地元を離れた。以後も「朝起きたときと寝る前には、心の中で神様に感謝を伝えなさい」との母の言葉を胸に留めて日々を通ってきた。
「主人は教えに興味を示すことはなかったものの、私の信仰を否定することなく、仕事が休みの日には、実家の講社祭やおぢば帰りに付き添ってくれた」
家庭を持ち、生活環境が変わってからも神様を意識して通ってきたつもりだったが、子供を授かり、子育てや家事、仕事に追われる日々を送るうちに、次第に信仰への意識が薄れていく。日常的に神様に手を合わせることも少なくなり、いつしか身の周りでトラブルが起きたときなどに思い出す程度になっていた。両親や所属教会の会長からは、ひのきしんや行事参加の声がかかることもあったが、元来の人付き合いへの苦手意識も重なって足が遠のき、教友との関わりも徐々に減っていった。
「この間にも、さまざまな身上や事情を見せていただき、親神様・教祖からてびきを頂いていたのだと思う。しかし当時は、多忙な日々に追われる中で、知らずしらずのうちにおぢばから心が離れ、信仰の本質を見失い、そこに込められているメッセージと向き合うことができていなかった」
夫と共に所属教会に参拝
「いま、変わるときやで」と
2025年2月、純子は卵巣に身上を見せられた。その後、9月と10月には身体に激しい痛みを伴う尿管結石の影響で入院し、2回の手術を受けた。いずれも大事には至らなかったものの、身体的不調や入退院を繰り返す生活への不安、職場の同僚に対する気づかい、医療費の負担などが重く心にのしかかり、思い悩む日々が続いた。
さらに12月、追い打ちをかけるように尿管結石に起因する「尿管狭窄症」と診断され、今年2月に入院・手術することが決まった。1年間で4度の入院と3度の手術と、節が相次いだことに加え、医師から「尿管狭窄症の手術は長時間かかるうえに、開腹しないと処置できるか分からない」と告げられ、不安が一層募った。
「立て続けに見せられる身上に、親神様から罰を受けているかのように感じてしまい、救いの見えない暗闇の中にいるようだった。家事をする気力が湧かず、何も手につかないまま、ふとした拍子に涙があふれることもあった」
手術を数週間後に控えるなか、落ち込む純子を心配した夫の提案で和歌山にある実家の墓参りへ行くことになった。普段は墓参りをした後、すぐに帰宅するが、この日はいつも気にかけてくれる所属教会の教会長夫人が体調を崩していると聞いたことから、「ぜひお会いしたい」との思いが募り、車で10分の場所にある教会を訪ねた。
教会では、小池泰会長と珠美夫人が温かく迎えてくれた。珠美も身上のため入院・手術を控える中にもかかわらず、純子の身上を心から案じ、変わらぬ笑顔で寄り添ってくれた。
また、珠美は「どれほど信仰していても、こうして節を見せていただくことはある」と、自らの思いを率直に語ったうえで、「神様は決して怒っているわけではなく、これは自分を見つめ直し、心をおぢばに向けるよう教えていただいているんやで」と力強く諭してくれた。
珠美からおさづけの取り次ぎを受けた純子は、不思議と心が落ち着いた。そして、それまでの自身の心のありように思いを巡らせる中で、仕事でもプライベートでも思い通りにいかないことが続き、身上もたび重なるうちに、「なぜ私だけ」という不満や不足ばかりを募らせ、心にほこりを積もらせていたことに気づいた。
「奥さまのお話を通して、神様は決して私に罰を与えているのではなく、子供可愛い親心からてびきを下さっているのだと分かり、心が軽くなって涙があふれた」
さらに珠美は、純子の様子を静かに見守っていた夫に向かって、「神様に“お土産”をお願い。別席、一つ運んでくれへんか」と声をかけた。それまで自ら教えを求めたことのなかった夫は、一瞬、戸惑った様子を見せながらも「はい」と素直に応じた。
思いもよらぬやりとりを見た純子の胸には、驚きとうれしさが同時に押し寄せた。そして、最後に珠美が夫婦に向かって語りかけた「いま、変わるときやで」とのひと言が心に深く響いた。
「思えば、娘と嫁が近く出産を控えており、家族にとって大きな節目を迎えていた時期だった。親神様・教祖は、私たち家族が結構に通れるように、おぢばに心を向ける機会を、あらためてお与えくださったのだと思う。これからは奥さまのように、神様にもたれて通ろうと誓った」
教祖140年祭が勤め終えられて6日後の2月1日、純子と夫はおぢば帰りし、夫は初席を運んだ。本部神殿で参拝した純子は、これから成人の道を歩む決意と、無事にご守護いただけることを祈念して、手術当日を迎えた。
毎朝のおつとめを続けて
心をおぢばに向けて通る
当初、「お腹を開けてみないと分からない」と言われていた手術は無事に成功。医師から「ぎりぎりの状態だった」と告げられ、親神様・教祖のご守護の有り難さを実感した。一方で、術後の後遺症で右足にしびれが残って歩行が困難な状態となり、回復の見通しも不明とされたが、純子は心を倒すことなく、自らにできる信仰実践を模索した。
その中で、「教会の奥さまのように、いまこそ『人救けたら我が身救かる』の教えを実践しよう」と、病院内で毎朝のおつとめを勤めることを決意。以後、珠美の身上回復や子供の安産、身の周りの人のたすかりを願い、おつとめを勤める日々を送るなか、純子自身が自力で歩けるまでにご守護を頂いた。
退院後も自宅で朝のおつとめを続けるなか、1カ月後には仕事復帰。同時期、娘と嫁が無事に出産し、元気な孫の顔を見ることができた。
「大難を小難にお連れ通りいただいたことに、親神様・教祖への感謝の思いでいっぱいになった。良いときも苦しいときも、日々のおつとめを通じて心を澄まし、おぢばに心を向けることで、周りもきっと良い方向へと導いていただける。これまで、ただこなすような感覚になってしまっていたおつとめへの意識が変わり、その大切さと尊さを実感した」
この先、家族にも“信仰の輪”を広げていきたいと考えている。「いますぐに教えを伝えようと焦ることなく、まずは自分自身が日々喜び勇んで神様にもたれる姿勢を家族に見せていきたい。どんなことがあっても、必ず神様が結構な方向に導いてくださると信じている」
今日も純子は朝のおつとめを勤め、珠美の身上平癒と、身近な人のたすかりを願う。
「今回の節を通じて、おぢばを心の拠り所とし、日々の何げない出来事の中に神様の教えやご守護の姿を求めることの大切さに気づいた。納得できないこと、不安に感じることがあっても、ひと呼吸置き、喜びに変えていけるように心の向きが変わった。『常に心をおぢばに向けること』『当たり前の日常に感謝し、喜び勇んで一日を過ごすこと』を胸に、これからも、神様にもたれ、お借りしている身体を存分に使って、陽気ぐらしの日々を歩んでいきたい」
(文中、敬称略)
文・写真=久保加津真













