天理時報2021年2月28日号2面
視点震災から10年、忘れない「絆」の心2月13日深夜、福島県沖で震度6強の地震が発生した。幸い死者は無かったものの、全国で10人以上が傷を負い、50軒以上の家屋が全半壊に見舞われた。この地震について気象庁は、東日本大震災の余震と推定している。ちょうど10年前、東北・関東地方を襲った震災と津波の惨状を思い起こさずにはいられない。10年も経つのに、いまだ余震が収まっていないのだ。地震の脅威に身震いするのは、筆者だけではないだろう。また、以下のような報道もあった。「2月15日午前、福島県相馬市沖約4キロで操業していた清昭丸(1㌧)が頭蓋骨のようなものを引き揚げ、漁協を通じて海上保安庁に通報。医師による検視の結果、人骨であることが判明した。10年前の東日本大震災の行方不明者の可能性もあるとみて、身元や死因を調べている」東日本大震災では1万5千30人以上が亡くなり、2千30人以上が行方不明のままである。10年後に遺体の一部が発見されたとしたら、痛切極まりない。今後、DNA鑑定や歯形鑑定によって、この遺体の身元が判明し、一日も早く遺族の元へ帰るのを祈るばかりである。ところで、震災後の10年間を振り返ると、震災前と比べて人や社会の意識が相当変化しているという。内閣府の調査によれば、国民の意識の変化として「防災意識の高まり」「節電意識の高まり」「家族の絆の大切さ」の3点が上位に挙げられている。まず、防災の意識については、特に沿岸部住民の津波に対する恐怖心と備えは、前と後とでは大きく変わった。たとえば、今月の地震で死者が出なかったことは、防災意識の高まりが反映されているとの見方もある。さらに、東日本大震災を教訓に備えを固め、早期に復旧できている店舗も少なくない。大手スーパでは震災後、ガラス製だった防煙用壁板の素材を破損しない不燃シートへ変更。今回の地震でも落下があったものの、原状復帰は容易だったという。また、コンビニ各社も15日までに店舗を再開。そこには各社の工夫を重ねた取り組みがあるようだ。「節電意識の高まり」については、もちろん地震後に勃発した福島第一原子力発電所の事故に起因するものだろう。原発からの放射性物質の拡散により、約3万人が避難を余儀なくされ、現在でも約4万人が避難生活を送っている。事故直後から、東京電力管内などで電力危機が叫ばれた。当たり前と思っていた電力供給が、実は脆弱であることに多くの日本人が気づいたのである。そして「家族の絆の大切さ」は、最も重要な課題であろう。「家族」だけでなく、人と人との絆と言い換えることもできる。「絆」は大震災の後、よく取り上げられた言葉である。もともと現代社会では、人と人との結びつきが、地域でも家庭でも薄れつつある。この震災を契機として、「絆」の概念が人々の心の底から絞り出されるように現れたと言っていい。被災地ばかりでなく、遠く離れた場所でも、凄まじい津波などの映像をテレビやインターネットを通じて目の当たりにすると、言い知れぬ不安に苛まれ、被災者のために何ができるのだろうかという切実な思いが人々の心に込み上げてきた。そうした思いを共有する鍵となる言葉が「絆」ではなかったか。具体的には、CSR(企業の社会的責任)という理念が震災後、急速に浸透している。被災地への寄付や物資供給、人の派遣といった支援を行う企業が増えているのだ。ボランティア休暇制度を設ける企業もある。会社内の部門横断でチームをつくり、被災地へ送り出したり、被災地で活動するNPOを支援したりと、多様な取り組みが見られる。東日本大震災から1年。ともすれば、うすれてしまう震災の記憶をもう一度取り戻し、せっかく固めた防災意識や「絆」の心を忘れない努力を惜しんではならないだろう。(安)特別企画天理是好日MyFavoritePlacevol.9[写真・文]フォトジャーナリスト小平尚典2月February春たけなわ待ち遠しくいままで2月という月は、暖かい春を心地よく迎えるために、寒さにじっと耐えるときだと考えていた。しかし、その和名を調べると、「如月」または「令月」といわれ、「何をするにもいい月」「素「晴らしい月」という意味があると知った。俗に「ピンチはチャンス」という言葉があるが、寒さが身に染みるようなときこそ、春の到来を信じて、いろいろなことに挑戦したいと思う。親里の管内高校生は2月に卒業を迎える。数年前、天理高校の卒業式を取材したとき、担任の先生が生徒一人ひとりに門出の言葉を贈っているのが印象的だった。僕の卒業式の思い出は、小学6年生のとき担任の先生から「月並みな考えを突き破って生きろ」と言われたことだ。もし僕が高校の教師だったら、卒業生には「いろいろと困難な時代に直面しているが、まずは健康が一番。元気でいれば、なんでもできる」と伝えるかもしれない。なんだか自分自身に言い聞かせているようだ。普通〟をとらえる神苑を巡る回廊は、おぢばの落ち着いた雰囲気に程良くマッチしている。回廊から窓越しに中庭を眺めても、中庭から回廊をぐるっと見渡しても、不思議な安心感が得られる。薄霧がかかる東の山並みも、いかにも”普通”で、ありのままの飾らない表情をしている。実は〝普通〟を写真で表現するのは意外と難しい。わざわざ別の場所からもう一度、大和青垣を眺める。すると、山並みの印象が少しざわざわしていて、神苑から見る景色とは異なった色味を感じる。まあ、写真家というものは思い込みが強く、一つの風景にもさまざまな想像を膨らませながらシャッターを押すような、センス頼りの仕事だから、そもそもの〝普通〟が人と異なっているのかもしれない。時も我も忘れてこの季節、神苑周辺の花壇にはサザンカが晴れがましく咲いている。晩秋から早春にかけて、長く人の目を楽しませるこの花は、あるときは可愛らしくもあり、あるときは淑やかな姿にも映る。天理界隈、特に「山の辺の道」沿いで、白梅がほころんでいるのを見かける。寒さに負けず可憐に咲く白梅を見ていると、春たけなわの陽春の候が待ち遠しくなる。これまで何度も「山の辺の道」を歩いた。人の営みと自然が織りなす独特の光景にふれてきたが、冬に歩くと、なお趣きが深い。僕のお気に入りの場所である乙木町の夜都伎神社は、茅葺き屋根の拝殿を構える珍しい神社だ。緑に囲まれた静かな境内でひと息ついていると、時も我も忘れてしまう。薄霧がかかる東の山並み中庭から眺める(上)一人ずつ卒業証書を受け取る天理高校生(下)澄んだ空の下、さまざまな彩りを見せる大和青垣(上)全国でも数少ない、茅葺き屋根を構える古い神社の拝殿(下)和楽東京五輪・パラリンピックの開幕まで5カ月を切った。コロナ禍の影響もあるだろうが、大会に向けて鍛錬を積み重ねているアスリートや関係者のことを思えば、なんとか安全な開催を願うばかりだ◆昨年12月、天理大学Bの丸山城志郎選手と阿部一二三三選手による柔道男子66㌔級代表決定戦が行われた。国内大会の延期や中止が相次いだことにより組まれた、実力伯仲の両者の1試合限りの直接対決は延長にもつれ込み、テレビ中継の枠に収まりきれない大熱戦となった。結果、僅差で阿部選手に軍配が挙がり、丸山選手は惜しくも五輪出場を逃したものの、死力を尽くして戦った両雄に、多くの柔道ファンから拍手喝采が送られた▼この歴史的一戦の主審として注目を集めたのが、東京五輪の審判にも選出された天野安喜子氏である。女性審判員の第一人者として知られるほか、江戸時代から続く宗家花火鍵屋の15代目当主としての顔も併せ持つ氏は、大きな注目を浴びる中で24分の長丁場となった一戦を終始、冷静に裁ききった。後日の取材では、最後まで逃げずに相手へ向かっていく両選手の気迫を肌で感じ、試合が長引くことで非難されても受けて立つ覚悟を決めたと“あの日〟の心境を語っているすでにビデオ判定を補助的に取り入れている柔道界に限らず、近年、各競技へのビデオ判定や機械判定の導入の流れが加速する時勢だけに、両選手に劣らない気迫のこもった面持ちで畳の上に立つ天野氏の凛とした姿は印象的だった。華やかな打ち上げ花火の舞台裏を、花火師たちの地道な手仕事が支えるように、後世に語り継がれる大一番や名勝負にも、それを脇や縁の下で支える人の営みがある。この夏、天理出身選手らの活躍とともに、力強い「一本!」の声がこだまする日を心待ちにしたい。