天理時報2021年2月14日号3面
はたらく”ようぼく」訪問異国で〝信仰する幸せ〟を広げてラーメン&バー「ZOOLZOOL」経営西岡英樹さん【にしおか・ひでき】1969年、京都市生まれ。天理高校卒業後、家業である野菜加工業に従事。2003年にニュージーランドへ移住すると、貿易商社や飲食店での勤務を経て、14年に「ZOOL ZOOL」の共同経営者となる。錦生分教会タスマン布教所長。オセアニア出張所理事。51歳。ニュージーランド最大の都市、オークランド。市街地からほど近い大通り沿いのラーメン&バー「ZOOLZooL」では、黒を基調とした落ち着いた雰囲気の店内で、人々が食事やお酒ゆったりと楽しむ。従業員と共に笑顔で客を迎え入れるのは西岡英樹さん。共同経営者の一人、さらにはフロアマネージャーとして、店を取り仕切っている。―ラーメン屋とバーが融合したお店とは、ユニークですね。ニュージーランドでは、日本食がとても親しまれており、いまは“日本のラーメンプーム”が起きています。当店では、人気の白湯をはじめ、野菜や海藻で出汁をとったベジタリアン向けの醤油ベースなど、多種多様なメニューを取り揃えています。特に、豚骨やシーフードのスープを煮詰め、もっちりした自家製の太麺を絡めたオリジナル「Zool麺」は、パスタに似た食感が特徴です。シャンパンやワインを片手にラーメンを楽しむお客様も多く、国技であるラグビーのプロ選手などの有名人も訪れます。◇天理高校を卒業後、家業である野菜加工業を支えるなか、妻・綾さん(5歳)と結婚。その後、30歳で一念発起し、語学勉強を目的に1年間ニュージーランドへ。新天地に身を置くことへの挑戦心が芽生えたことから2003年、妻と息子二人を連れて家族4人で移住した。◇異国ならではの苦労は?貿易商社などを経て、日本食レストランで働いていたときのこと。その店のオーナーから、開業を控えた当店の共同経営を持ちかけられたのです。「これも教祖のお導きでは」と二つ返事で引き受け、フロアマネージャーを任されました。2014年21月のオープン以後、指揮を執る中で苦労したのは従業員との意思疎通でした。ワーキングホリデーを利用する諸外国出身の若者も働き手に迎えるなか、実は異国というより世代間のギャップを感じることのほうが少なくありません。当初は、持ち前のひのきしん精神”をスタッフにも求め、時には強い口調で指導したことで、逆にやる気を失わせてしまったこともありました。自己嫌悪に陥るなか、それぞれの言い分に耳を傾け、指導方法を省みたところ、心を低くす大切さに気づかされました。以来、ミスをした相手にも思いやりのある言葉がけを続けるうちに、人間関係の歯車が徐々に噛み合ってきたのです。店の雰囲気は良くなり、いまは「ずっと働きたい」と言う従業員もいてうれしく思います。-仕事の一方で、2006年には同国2カ所目となる布教所を開設されました。所属教会長から布教所開設のお話を頂いたとき、現地での生活を振り返りました。すると、働き口が見つかり、息子たちがすぐに学校に馴染んだりと、暮らしやすい環境が自然と整ってきたことに思いが至りました。そこに親神様の思召とお導きを感じ、そのご恩に対する感謝の思いからタスマン布教所を開設。以来、家族や信者さんと共に道を歩むなか、おぢば帰りの際には格別の喜びを味わっています。はたらく”ようぼくとして思うことは?働くことを通じて、布教所長として自らの心を見つめ直し、成人につながるきっかけを頂いています。これからも「神様第一」を心に据え、ニュージーランドの地で、〝信仰する幸せを周囲に伝え広げていきたいです。幸せへのカルテット四重奏aquartetforhappiness元渕舞ボロメーオ弦楽四重奏団ヴィオラ奏者ニューイングランド音楽院教授遠く離れていても15歳の娘さくらが最近、日本のアニメに凝っていて、部屋から日本の歌が聞こえてくるようになった。なかには私の青春時代の歌もあり、聞きながら学生のころを思い出した。寝坊して遅刻ギリギリなのに、朝ごはんを終わらせ、ちゃんと歯を磨かないと母は学校へ行かせてくれなかったこと、昼食は母が作ってくれたお弁当をウキウキしながら開けたこと、風邪で寝込んでいても部活の時間には、なぜか元気になって学校に駆けつけたこと、部活帰りに通る銀杏並木が好きだったこと。あのころは、まさか自分が半年後にアメリカへ留学しているなんて、思いもしなかった。アメリカにいても、勉強しながら聴く曲はいつも日本の歌だった。聴きながら、心は日本とつながっていると感じていた。今年の正月は特に日本が恋しくなった。中学の家庭科で習ったグラタンを作ってみたり、小学校のマラソン大会の後に食べたお汁粉を作ってみたりしているが、今回のホームシックはなかなか治りそうもない。アメリカに来た2年前は、いくら日本や家族が恋しくても、両親の反対を押しきって留学してきたことから弱みを吐けず、歯を食いしばって頑張った。それでも我慢できず、泣きながら電話をしたとき、父が「常にへその緒をおぢばにつなげていれば絶対に大丈夫だから」と言ってくれた。遠く離れていても、心はおぢばにいる家族とつながっていると感じた。その意味が、今よく分かる。1年前の年越しは、おぢばにいる両親がボストンに来てくれていた。昨年の1月2日、私は室内楽フェスティバルに出演するため香港に到着した。空港のテレビでは、中国・武漢市で謎のウイルスが原因で数人が変死したという速報とともに、市場を消毒する様子が放映されていた。2週間のフェスティバルを終え、ボストンへ帰国した数日後に香港は国境を閉鎖した。その後、両親が日本へ帰国する際、感染拡大が進む日本に年老いた両親を帰すべきか迷ったこともあった。あのころも、1年後の今を全く想像できなかった。高校生オーケストラにレッスンしたとき、生徒から「高校時代の自分にメッセージを送るとしたら何と言いますか?」と尋ねられた。私は、「今の自分は二度と戻ってこないから、毎日を存分に生きて、いい思い出をたくさんつくってほしい」と答えた。もし1年前の自分に会えたなら、両親と一緒にいられる今を大切にしなさいと言うだろう。お汁粉を作ったとき、あずきが入った箱の側面に、母の手書きのメモを見つけた。そこには、母が作ってくれる私の好物の分量が書かれていた。遠く離れていても母の愛情を感じて涙が出た。選手権初優勝から1カ月多方面から引っ張りだこ続報天理大ラグビー部既報の通り、第5回「全国大学ラグビーフットボール選手権大会」で悲願の初優勝を果たした天理大学ラグビー部。決勝戦から約1ヵ月が経過した現在も、各種メディアの取材を受けたり、地域の学校・施設を訪問したりと、まさに〝引っ張りだこ”の人気。ここでは同部の近況を紹介する。決勝戦の翌朝、部員たちは本部神殿でお礼のおつとめを勤めた後、本部玄関で真柱様と大亮様に初優勝を報告。午後は松岡大和主将(4年)、シオサイア・フィフィタ副将(同)らがNHK奈良支局へ赴き、地域情報番組の「ニュースほっと関西」に生出演して、大学の頂点に立った喜びを語った。1月18日には、関西ラグビーフットボール協会の萩本光威会長らとの祝勝対談が行われ、小松節夫監督(5歳)、松岡主将、フィフィタ副将の3人が出席。チームの舞台裏などを語る様子が、同協会公式ユーチュープチャンネルで生配信された。さらに、日本ラグビーフットボール協会の公式チャンネルでも、小松監督や松岡主将らがト一ク番組に出演した。1日は、小松監督と松岡主将が天理市役所を訪問。並河健市長から「ラグビー部の活躍に勇気を与えてもらった」などの祝福の言葉を受けた後、「天理市の文化スポーツの振興に寄与した」として「スポーツ特別功労賞」を贈られた。25日には「関西スポーツ賞」に選出された。これは関西運動記者クラブが昨年活躍した選手や団体を称えるもの。近年では、リオ五輪柔道金メダリストの大野将平選手が選ばれている。また、天理市内の学校・施設や選手の出身高校などへ出向などき、実技指導や講演を行っている。2月5日、天理市立櫟本小学校の「夢かたるプロジェクト」に招かれた(写真)。このイベントは同地域が運営する「櫟本こども夢応援プロジェクト」の一つ。松岡主将はじめ部員7人が、児童からの「身体を大きくするには何を食べたらいいですか?」「自分より大きな選手ヘタックルするのは怖くないですか?」などの質問に答えた。さらにパスやキック、タックルなどの実技を披露。“日本一の技術”を目にした同小5、6年生の3人から温かい拍手が送られた。このほか、雑誌やテレビなど各種メディアから出演依頼が殺到している。こうした反響に、松岡主将は「ありがたいことに試合後1週間は、かなり忙しかった。今度は追う側から追われる側になるが、後輩には連覇を目指して頑張ってほしい」と話している。社会人チームへ続々入団なお松岡主将は卒業後、トップリーグのNTTドコモレッドハリケーンズへ、フィフィタ選手はトップチャレンジリーグの近鉄ライナーズへの入団が決まっている。そのほかの主な選手の進路は次の通り。(2月10日までのチーム正式発表分。順不同、敬称略)Oトップリーグ東芝ブレイブルーパス=小鍛治悠太、松永拓朗クボタスピアーズ=藤原忍リコーブラックラムズ=谷口祐一郎Oトップチャレンジリーグ清水建設ブルーシャークス=臼井礼二郎本部准員本部直属駿遠豆分教会前会長小野清彦さん1月2日午前零時0分、出直された。16歳。吉川万寿彦本部員斎主のもと、みたまうつしは28日午後6時から、告別式は2日午前11時から、それぞれ天理市布留町の第1母屋で執り行われた。【小野さん略歴】昭和19年1月23日生まれ。國學院大学卒業。3年2月2日おさづけの理拝戴。4年本部青一年。5年本部准員、教祖100年祭準備委員。6年表統領室綜合案内課長。6年別席取次人。平成元年おやさとやかた管理室管理掛主任、天理教災害対策委員会委員。2年駿遠豆分教会長。16年布教部にをいがけ課長。25年教祖10年祭準備委員などを務めた。この間、千葉、愛知の各教区の修理人を務めた。大藪安三さん(おおやぶ・やすぞう=58歳・河原町大・唐橋分教会前会長)12月30日出直された。本部詰員、大教会役員、旧南支部長を務めた。京都教区。小川武彦さん(6歳・日光大・谷浅見分教会長)月15日出直された。地方委員を務めた。栃木教区。藤原冨美子さん(ふじはら・ふみこ=8歳・北大・梅ヶ枝分教会前会長)1月18日出直された。西成支部役員を務めた。大阪教区。佐々木茂さん(60歳・生駒大・岐濃分教会長)月2日出直された。大教会準役員、少年会生駒団副団長、地方委員などを務めた。岐阜教区。三戸部ますみさん(みとベ・ますみ=33歳・甲府大・上高井分教会前会長夫人)1月23日出直された。高井支部婦人会主任を務めた。長野教区。奥次子さん(おく・つぎこ=80歳・中河大・博愛分教会長夫人)1月23日出直された。岸和田支部婦人会委員を務めた。大阪教区。吉岡よしゑさん(よしおか・よしえ=33歳・山名大・東遠分教会前会長夫人)1月24日出直された。静岡教区。多根井伊都子さん(たねい・いつこ=9歳・中和大中郷分教会2代会長夫人)1月24日出直された。大教会婦人、婦人会中和支部委員、高田支部婦人会主任を務めた。奈良教区。松井敏さん(まつい・さとし=9歳・加古大・賓勢分教会前会長)1月25日出直された。兵庫教区。奥正文さん(5歳・芦津大・二名分教会長)1月2日出直された。教区主事松山北支部長、布教の家「愛媛寮」育成員を務めた。愛媛教区。中河美智枝さん(なかがわ・みちえ=68歳・高知大西宇部分教会前会長)1月28日出直された。山口教区。鶴丸福枝さん(5歳・名京大・名馬場分教会長夫人)1月30日出直された。保護司、民生・児童委員を務めた。長崎教区。中野信市さん(なかの・のぶいち=16歳・北洋大・洋成分教会長)1月30日出直された。新潟教区。佐藤千代さん(8歳・本理世大・本理台分教会初代会長)1月3日出直された。静岡教区。北川道治さん(きたがわ・みちじ=38歳・白羽大・神谷城分教会前会長)1月31日出直された。大教会役員、同布教部次長、同営繕部次長を務めた。静岡教区。陽気ぐらしのヒント人生相談酔っぱらっては人を連れてくる父親の酒癖が悪く、困っています。普段の父は大人しく、優しい性格で、仕事もきっちりとこなす真面目な人です。面倒見もよく、友人もたくさんいるようです。ところが、お酒を飲むと途端に気が大きくなり、仲の良い人を突然、家に連れてくることがあります。事前に電話してくることもありますが、母が断っているのに連れてくることもあり、家族は困惑しています。やめてほしいと分かってもらうには、どうすればいいでしょうか。(20代女性)酒癖を除けば素敵な父親で、普段は仲のいい家族なのでしょうね。男性から見れば、人との出会いや親交は財産なのだから、たまには友人を連れて家庭でもてなしてもいいのでは、と思ってしまいます。しかし、あなたや母親はすでに我慢の限界のようです。父親の顔を立てて、よく受け入れてこられましたね。そんな家族を、父親も誇らしく思っているのではないでしょうか。心の中では感謝しているはずです。「おさしづ」に「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めんく楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん」(明治30年1月11日)とお教えいただきます。父親は、お酒を飲んで楽しい時間を過ごし、その延長で家に人を連れてきてしまい、あなたや母親を苦しめているのですから、神様の目から見れば、陽気ぐらしとは受け取っていただけないでしょう。また、『天理教教典』第十章には「陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れる」「人は、ややもすれば、我が身勝手の心から、共に和して行くことを忘れがちである。ここには、心澄みきる陽気ぐらしはなく、心を曇らす暗い歩みがあるばかりである」とあります。父親は楽しいかもしれませんが、家族の中では〝暗い歩み”となって、陽気ぐらしから離れてしまいますね。コロナ禍にある現在、家に人を呼んだりはできません。家族の時間が持てる今こそ、父親と話す機会を見つけ、「陽気ぐらしの家族」について、しっかりと向き合ってみてはいかがでしょうか。ちなみに私は、難しい問題について人と話し合う際、いい方向へ進むように「お願いづとめ」を勤めてから行います。あなたも大事な家族の問題ですから、親神様・教祖にお働きいただけるようにお願いして、じっくりと時間をかけて家族会議を開いてみてください。きっと親神様・教祖は解決の道へと導いてくださいます。回答者平澤勇一磐城平大教会長福島教区長身上・事情などに関する悩みをお寄せください。個人情報は厳守いたします。●宛先=〒632‐8686 天理郵便局私書箱30号天理時報「人生相談」係●ファクス=0743‐62‐0290 ●Eメール[email protected]座右のおふでさきにち/\にをやのしやんとゆうものわたすけるもよふばかりをもてる(十四号33)小西黄三京黄分教会前会長突然の身上お手入れに成人を促される親心を感じ昨年7月のある朝。いつものように目を覚ますと、両目の視界が狭くなっていた。めまいとふらつきもあり、すぐさま市内の眼科を受診したが原因不明。翌週、神経内科で検査したところ、脳梗塞との診断だった。しかも視神経の集中している部分の血管が詰まっており、即刻入院となった。突然の病気に心は沈み、今後どうなるかも分からず、不安いっぱいだった。さらに、コロナ禍の影響で家族に面会できず、寂しい思いをした。そんななか、病室で『天理教教典』を拝読しているとき、第一章に記された掲出の「おふでさき」が目に留まった。そのとき、「人間の我が子を慈しむ親心」のように、子供である人間を、身上の障りを見せてでもたすけたいと思召される親神様の深い親心をあらためて感じ、先案じや寂しさから解放されて、救われたような気がした。それからは、このお手入れがありがたいと思えるようになり、病室のベッドで座りづとめを勤め、お礼を申し上げる日々を送った。退院後も、相変わらず視界は狭く、たまにふらつきを感じる状態が続いている。人混みに入れば、対向者や脇道から出てきた人とぶつかることもある。それでも私の“心の眼〟は視界良好で、心の成人を促される親神様の親心を感じながら、日々の神殿掃除など、教会の御用を勇んでつとめさせていただいている。これからも、一人でも多くの人の心のたすかりを願い、地域でのにをいがけなどで自身の体験を伝えていきたい。