天理時報オンライン

“真実の願い”は埋もれない – 心に効くおはなし


私も含めて、人間というものは欲深くて厚かましい。それが一番分かりやすく現れるのは、おつとめの拝礼の時間です。

このとき、親神様に、あれもこれもとたくさんお願いする人がいます。教会本部の大祭や月次祭には、何万人もの信者さんが帰参しますから、親神様はもう大変です。大勢の人がいっぺんに、ああしてください、こうしてください、なかには「もっと美人にしてください」「脚を長くしてください」なんてお願いをする人もいたりして……。私が神様だったら、きっと嫌になると思います。

けれども、そのなかから「私のことはどうでもいいのです。困っているあの人のことを、どうかたすけてください」という声が、スーッと聞こえてきたらどうでしょうか。

「ほしいほしい」と求めてばかりいる人と、「あの人をたすけてください」と祈りを捧げている人とでは、おのずと雰囲気が違いますよね。だから、後者のような“真実の願い”は、どんなに大勢の人がいても埋もれずに、親神様のもとに確実に届くと思うのです。

多少のお願いならいいと思うのです。私も、膝が痛いな、ちょっと風邪っぽいなと思ったら、痛みを取ってください、熱を下げてください、などとお願いすることはあります。

それでも、自分のことは後回しで、まず人さまのために心を使い、行動させていただくお互いでありたいものです。

(2020年・道友社刊)

『朝の信仰読本――こころ澄ます教話集』

中山慶純著(天理教本部員)

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