朝日に包まれる神苑 お姿を拝する気持ち忘れず – 逸話の季
12月になりました。師走です。
先の見えない不透明な状況が続くなか、手探りで前に進んできた1年が暮れようとしています。大変なことがたくさんあったはずなのに、神前に額ずきながら1年を振り返ると、不思議と今年も良い年であったと感じます。祈りとともに過去を振り返るこの時間を大切にしていれば、きっと来年も前を向いて生きていけるでしょう。
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明治7(1874)年12月26日(陰暦11月18日)、教祖は突然「赤衣を着る」と仰せられました。さらに「出来上がり次第に着る」と急き込まれるので、周囲の人々は午前中に奈良で布地を買い求め、大急ぎで赤衣を仕立てます。その日の夜には早速、赤衣の着初めをなさいました。赤衣を召された教祖が壇の上にお坐りになり、その日詰めていた人々が、お祝いの味醂を頂戴した、と伝えられています(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「三五 赤衣」)。
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「赤衣」を急に召された教祖を前にして、少し戸惑い気味の人々の姿と、この日の厳粛な空気がよく伝わる逸話です。
真っ赤な着物を全身に纏った教祖のお姿は、「月日のやしろ」である教祖のお言葉が、この時代に生きる一女性の言葉ではなく、親神様のお言葉であることを目に見えるかたちで表しています。この日、壇の上にお坐りになる教祖から味醂を頂戴した人々は、その神々しいお姿に、きっと圧倒されたことでしょう。
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教祖殿の階段を上って御用場の畳に着座し、頭を垂れてご存命の教祖にご挨拶すると、心の中にあったわだかまりや悩みが消え去り、気持ちが晴れやかになる日があります。体調の優れない日も思いきって教祖殿へ足を運ぶと、いつも帰るときには足取りが軽くなっています。
目の当たりにお姿を拝することはできなくとも、こちら側にご存命の教祖をお慕いする信心があれば、必ず教祖は背中を押してくださるのです。
新しい年も、目前に教祖のお姿を拝する気持ちを忘れずに、毎日を暮らしたいものです。そうすれば、混迷する時代にも、決して道に迷うことはないはずです。
文=岡田正彦