おつとめで人がたすかると知り – 修養科の四季
第972期 佐藤真美さん 48歳・山形県米沢市・莊鶴分教会所属
20年ほど前、職場近くの教会で開かれていた英会話教室へ通い始めたことがきっかけで、お道と出合いました。
当時、職場の人間関係で悩んでいたところ、会長さんの奥さんが親身に話を聞いてくださり、「神様は絶対に見放されないから大丈夫」と、分かりやすく教えを説いてくださいました。その後、会長さんと奥さんの導きを受けて神様を信じるようになり、次第に自ら進んで神殿で額ずくようになりました。
9年前に教会長後継者と結婚。「いつかは修養科へ」と考えてはいましたが、仕事が忙しく、なかなか一歩を踏み出せずにいました。
そんなある日、夫がおぢばでの御用中に鼠経ヘルニアに。腸などの内臓が腹腔から飛び出し、命の危険があるなか、救急車で病院へ運ばれたと連絡が入ったのです。
なんとかたすかってもらいたいと、教会の神殿で一心にお願いづとめを勤めました。するとお願いづとめを終えるころに病院が見つかり、夫はなんとか一命を取り留めました。「これは神様からのお手引きに違いない」と悟った私は、迷わず志願しました。
考え方の癖に気づき
「なんでも喜んで通らせてもらう」と目標を立てて親里の土を踏むと、当初感じていた不安はすぐに消え、優しいクラスメートたちと共に教えを楽しく学ぶことができ、勇んだ日々を送っていました。
ところが、2カ月目のある時期から、ちょっとした人間関係の悩みを持つように。その後、次第に自分自身を追いつめるようになり、心が沈みがちになりました。
ある日、ふと一人になったとき、過去に職場で受けた嫌がらせがフラッシュバックし、涙が止まらなくなったのです。信仰のおかげで治ったと思っていた心の傷口が開き、パニックのような状態に陥ってしまいました。
自分ではどうにもできないので、神様におすがりするしかない――。そう考え、その日の詰所の夕づとめで「どうか心を治めてください」と一心におつとめを勤めました。すると不思議なことに、おつとめを勤め終えるころには心が落ち着いていたのです。
修養科の先生からおつとめの大切さや、おつとめで人がたすかることを教えていただきましたが、この節を通じて、をやの温もりとおつとめの尊さを心から実感しました。
その後、心が次第に前向きになっていく中で、なんでも悪い方向へ考えてしまう自分の考え方の癖に気づくことができました。そして、人間関係に悩んでいたことをきっかけに、お道の教えを知った私自身の信仰の元一日を忘れないようにと、神様がそばで見守り、成人を促してくださっていると思えるようになったのです。
修了を前に、悩み苦しむ人たちに少しでもお道の教えを伝えていくことを心に誓いました。
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現在、修養科で実感した信仰の喜びと、親心へのご恩報じを胸に、身上・事情で苦しんでいる人のたすかりを願って朝夕のおつとめを勤めています。また、時間を見つけてにをいがけに歩いています。教祖が伝えてくださったこの教えを、まずは身近な人へ伝えていきたいと思います。