東日本大震災から12年 – 道を楽しむ7
南米コロンビア巡教の帰路、飛行機を乗り換えるため、米国のマイアミに一泊していた。目が覚めると、携帯電話に安否を尋ねる大量のメールが。日本時間、平成23年3月11日。私が寝ている間に、日本は尋常ならぬ状況に陥っていたのだ。
マイアミ空港へ行ったが、成田空港は閉鎖されているとのこと。やむなく2日後の便を取り直し、ホテルに戻って待機。そこで初めて、東北地方を中心とする巨大地震による津波で、三陸沿岸が甚大な被害に見舞われていることを知る。現地のテレビでも、津波被害の様子が繰り返し流れていた。家族とは全く連絡が取れず、無事を祈ることしかできない。不安ともどかしさに、胸が張り裂けそうだった。
翌日、やっと妻とメールがつながる。家族や信者さんの無事は確認されたが、神殿の瓦は崩れ、壁も落ち、柱もよじれ、地震の凄絶さを実感させられた。遥か彼方で何もできず苛立つ私に、妻は「日本に帰ったら、山のように御用が待っているからね!」と檄を飛ばした。
成田空港に着いたものの、岩手へ向かう東北新幹線も高速道路も不通。幸い、上越新幹線が動いていたので、少しでも北へ行こうと新潟へ向かった。道中、新潟の友人に連絡し、縋る思いで事の次第を説明した。
すると災害救援ひのきしん隊新潟教区隊の先遣隊が、翌日岩手に入るので、同乗できるように手配してくれた。新潟中越地震の際に指揮を執られた吉澤讓教区長(当時)の隣に座り、車中で貴重な助言を頂く。先回りのご守護を感じながら、やっとの思いで岩手に戻った。地震発生から、すでに5日経っていた。
帰国後は妻の言う通りだった。父が教区長だったこともあり、自教会のことは後回しで、共に被災地を走り回った。行く先々で目にする悲惨な光景。耳にする悲壮な話。本部をはじめ、全国各地から駆けつけてくださる教友のご支援に、本当に身も心もたすけられた。
特に真柱様が被災地へ足をお運びくださったことは、多くの教友たちの心の救いとなった。落胆する被災者に寄り添い、一心に耳を傾けられるお姿に、おたすけのあり方を学ばせていただいた。
あの日から12年。震災救援を通じて頂いた多くの真実を味わい直し、ご恩報じのうえからも年祭活動に一層奮起したい。
中田祥浩 花巻分教会長