早咲きの桜を仰ぎ見て 皆、神の子であると意識すれば – 逸話の季
春が来ました。東の空が明るくなると、楽しげな鳥のさえずりが山里に響きます。厳冬の冷たい空気や照りつける夏の太陽は、いまここに生きている実感を与えてくれます。
しかし、それら以上に、暖かい春の日差しは、この世界に生きる喜びを感じさせてくれます。桜の木のつぼみは大きく膨らんで、先端がピンク色になってきました。もうすぐまた、色鮮やかな花卉や新緑がこの地を満たします。
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明治18年3月28日(陰暦2月12日)、山田伊八郎は教祖から、次のようなお言葉を承りました。
「神と言うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又、内外の隔てなし。というは、世界一列の人間は、皆神の子や。何事も、我が子の事思てみよ。ただ可愛い一杯のこと」
『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一六四 可愛い一杯」
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「この身の内離れて神はなし」。普段はあまり意識しませんが、身体に不調を感じたり急な病に向き合ったりすると、誰もが「かしもの・かりもの」の真実を実感します。
また、出口の見えない紛争や国家間の対立のニュースを目にするたびに、「世界一列の人間は、皆神の子や」というお言葉が深く身に沁みます。言語や文化、習俗・習慣の違いを超えて、世界中の人間は皆、神の子であり、きょうだいなのです。
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教祖を通して伝えられた神の言葉は、親神様がご覧になるこの世界の真実の姿を伝えています。だからこそ、これらのお言葉と真摯に向き合うとき、昨日までと同じ世界に暮らしていても、今日を生きることの意味が変わってくるのです。朝、目が醒めて、心臓の鼓動に感謝と喜びを感じるのなら、目の前の一日を前向きに生きることができるでしょう。世界中の人間は皆、神の子であると意識すれば、どのような場面でも自分に絶望することはありませんし、果てしない争いのトンネルの向こうにも希望の光が見えてきます。
ようぼくの使命は、こうしたメッセージを広く世界の人々に伝えていくことにあるでしょう。教祖140年祭へ向かう旬に、このことを忘れないでいたいものです。
■文=岡田正彦