還暦の節目に得た“人生の指針” – わたしは初代
2023・8/16号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
ラジオ番組、本、人との巡り合わせ
数々の偶然は「すべて神様の導き」
『すきっと』第26号「ヒューマン」に登場した
生田與克さん
(60歳・原宿分教会ようぼく・東京都中央区)
【いくた・よしかつ】
1962年、東京都生まれ。高校卒業後、父親の経営する築地魚河岸マグロ仲卸「鈴与」に入社、3代目を務めた。築地市場と豊洲市場で学んだ自然の恵みの尊さ、日本特有の食文化の奥深さを、各メディアを通して発信している。著書に『魚をさばく』(NHK出版)、『あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか』(KADOKAWA)など多数。チャンネル登録者数9.7万人の自身のYouTubeチャンネル「魚屋のおっチャンネル」では、政治家と共演するなどして、さまざまな情報を発信している。
教外者向けの“にをいがけ誌”『すきっと』(道友社刊)は、今年の「にをいがけ強調の月」が始まる9月1日、節目の第40号として発刊される。2015年12月1日に発行された第26号「ヒューマン」のコーナーに登場した水産資源問題の専門家が、取材から8年を経た今年3月、ようぼくの仲間入りを果たした。築地市場(当時)のマグロ仲卸「鈴与」の3代目で、現在は「株式会社 魚河岸野郎」代表取締役を務める生田與克さんは、還暦を迎えた節目に、これまでの人生を振り返り、自ら別席を運ぶことを決意。おさづけの理を拝戴してからは、原宿分教会へ足を運び、鳴物の修練に励んでいる。数々の偶然が重なり、教えを求めるに至ったことを、「すべて神様の導き」と話す生田さん。節目に得た“人生の指針”とは――。
「人間が陽気ぐらしをするのを見て神様も楽しみたいって思召されているんだから、陽気に生きないとね」。生田さんは屈託のない笑顔で話す。
7月12日、東京都渋谷区の原宿分教会。翌8月の教会月次祭で初めておつとめ衣を着けて鳴物を勤める予定の生田さん。同じ経営者として以前からつながりがあり、別席を運ぶ際に世話取りを頼んだ塩澤好久さん(61歳・原宿分教会役員)と共に、2回目の男鳴物の修練を行った。
生田さんは八足の前に座ると、拍子木をぎゅっと握りしめる。
「そんなに力を入れて握らなくていいよ」。力んで固くなった体をほぐすよう塩澤さんからアドバイスを受けると、突き抜けるような高い拍子木の音が神殿に響いた。
「ラジオ天理教の時間」と「サムシング・グレート」
「あり得ないような偶然が重なってさ。これは神様に呼ばれてるなって。神様に呼んでいただいているなら、応えないわけにはいかない」
お道の信仰を自ら求めた理由を、そう話す。「僕は昔から神様が大好き。母親が他宗教を信仰していた影響もあるかもしれない。何かにつけて、『いつでも神様が見守ってくださっている』と伝えてくれたから」と生田さんは述懐する。
下町情緒あふれる東京・月島生まれ。父親は膨大な種類の水産物を扱う“世界最大級の台所”である築地市場でマグロ仲卸「鈴与」を営み、母親の実家はウナギを扱う老舗。築地の空気を吸って育ち、高校卒業後、父親のもとで働き始めた。
魚河岸の朝は早い。午前3時には仕事が始まる。移動中はラジオを聴くのが“毎朝のルーティン”だった。
「ラジオをつけると、『オールナイトニッポン』がやっている。それが終わると、『ラジオ天理教の時間』が流れる。内容は覚えていないけれど、当時聴いていたことが自分の基礎になっているんじゃないかな」
人生の大きな転機は1992年。バブル崩壊により、5億円の負債を抱えることになった。「正直、あのときは自死も考えた」
絶望の淵に立たされるなか、ある日、遺伝子研究の世界的権威である村上和雄氏(故人・本部直属典日分教会ようぼく)の講演を傍聴。感銘を受けた生田さんは、縋るような気持ちで村上氏の書籍を読み漁った。
「あのころは村上さんが天理教の信者だと知らなかったが、僕にとって『サムシング・グレート』(大いなる何ものか)は心の拠り所になっていた」
36歳で東京青年会議所に入会し、同会の理事長を務めていた塩澤さん(現㈱シオザワ代表取締役社長)と出会う。
同じころ、水産資源問題に関心を持ち、乱獲や乱売などにより日本近海から魚が消えつつある現状に警鐘を鳴らすべく、講演活動を始めた。
こうしたなか、月刊誌『Wedge』(株式会社ウェッジ)に自身の水産資源問題の取り組みが連載されることに。このとき、カメラマンとして同誌に関わっていたのが、『すきっと』でもおなじみのフォトジャーナリスト・小平尚典氏だった。その後、小平氏から『すきっと』取材への協力を打診され、第26号に登場した。
同年の暮れ、塩澤さんは、教会の信者に振る舞うためのマグロを買いに生田さんのもとを訪れる。
このときは、すでに青年会議所を終えていた生田さんだったが、10年以上顔を合わせていなかった塩澤さんと再会し、「『そういえば塩澤さん、天理教だったよね?この前「すきっと」に載ったんだよ』って言ったら、『え!? なんで?』っていうやりとりがあった。『すきっと』の発刊後、すぐに塩澤さんがマグロを買いに来てくれたことにも驚いたし、すごい縁だと感じた」と振り返る。
ほどなく生田さんは、塩澤さんの導きで初めておぢばへ帰り、お道の教えにふれる。さらに「道の経営者の会」代表世話人を務める塩澤さんの依頼で「天理経営者フォーラム」の基調講演に登壇。お道の書籍も手に取るようになり、村上氏が本教信者であることを知る。
「不思議な縁で天理へ足を運び、信者の方とも親交を持って、講演にも立たせてもらった。『すきっと』の取材をきっかけに、それまでの数々の偶然も重なって、いろいろなことが一度に動き始めたように感じる。僕にとって天理との縁が、とても大切なものになっていった」
2018年、「鈴与」の負債を清算。その後、「株式会社 魚河岸野郎」の代表取締役に就き、豊洲市場水産仲卸業者として再スタートを切る。
昨年、60歳を目前にして「還暦を機に、何か自分にできることはないか」と考えるようになった。
「一時は『豊洲に神社でも建てようか』と思って神職について学んだけれど、自分には合わなかった。そして思い至ったのが、天理との縁だった。不思議な縁を頂いてきたから、『これは親神様に引き寄せてもらっているんじゃないか』って」
こうして生田さんは、塩澤さんに連絡を取った。
「別席っていうのを受けたいんだけど、どうしたらいい?」
月に一席ずつ別席を運び ようぼくへの仲間入り
2022年1月、仕事の合間を縫って、塩澤さんと共におぢばへ帰った。東京都在住者の場合、ひと月で別席を三席運ぶことができるが、「神様のお話を聴かせていただくのなら毎月、足を運ばなきゃ申し訳ない」と、月に一席ずつ運ぶことを決めたという。
二席目からは一人でおぢばへ帰り、11月に満席となった。
「別席のお話は、何度聴かせてもらっても心に響く部分が毎回違う。これまで、ほこりをたくさん積んできたんだなと反省した。月に一度のおぢば帰りは、いつも楽しみだった」
特に感銘を受けたのは、「八つのほこり」と「たんのう」の教えだという。「苦しいときに『楽しめ』って言われたって、そうそうできるわけではない。でも、これまでの経験を振り返り、僕にとっての『たんのう』とは『人生を味わい尽くせ』ってことだと解釈している。苦しいこともあったけれど、親神様の思召があって与えられたことだと思えた」
2023年3月、おさづけの理拝戴。晴れてようぼくの仲間入りを果たした。
◇
「よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない」
塩澤さんが唱える地歌に合わせ、生田さんが拍子木を打つ。たまに打ち間違えることはあっても、真剣に、時折、笑顔を見せながら、約1時間にわたって男鳴物の修練に励んだ。
「天理の教えに“人生の指針”を得たと思ったね。『八つのほこり』の教えを意識して生活していたら、夫婦仲も格段に良くなった。若いころラジオを聴いたのも、人生の“どん底”で村上さんの本と出合ったのも、『すきっと』に出させていただいたのも、すべて親神様のお計らいだったんだろうな。だんだんと親神様の存在が分かるように、自ら教えを求めるように促してくださったとしか思えないよね。親神様に導いていただいたんだから、これから一生、天理の教えを大事にして、教会につながっていきたい」
文=加見理一
2015年12月1日発刊の『すきっと』第26号に掲載された生田さんの記事をご覧いただけます。
https://doyusha.jp/jiho-plus/pdf/20230816_ikuta.pdf