勤勉・勤労な復興請負人 – 日本史コンシェルジュ
2023・10/4号を見る
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かつて、全国の小学校には必ず「二宮金次郎」像がありました。背中に薪を負い、胸の前で本を開き、半歩踏み出す姿は、勤勉・勤労の象徴でした。
江戸時代後期、現在の神奈川県小田原市の裕福な農家に生まれた金次郎は、度重なる水害で田畑を、さらに病で両親を失います。兄弟はバラバラとなり、親戚のもとで暮らしました。深い悲しみのなか、金次郎は二宮家の再興を心に期すのです。
やがて武家屋敷へ奉公に出て、わずかな賃金を得た金次郎は、荒れ地を購入し、来る日も来る日も耕しました。実は江戸時代は、今とは税制が異なり、土地そのものに税はかからず、その土地から採れた農作物に対して税がかけられたのです。ですから、農作物を産まない荒れ地は、非常に安い値段で売り買いされました。しかし、そんな荒れ地でも、農業に適した土地へと変えれば、高く売ることができます。金次郎は土地が売れると、また荒れ地を買い足し、心を込めて耕していきました。
このことからも分かるように、二宮金次郎という人は、単に勤勉・勤労という美徳を発揮しただけでなく、経済の仕組みを上手に活用していったのですね。
こうして見事に二宮家を再興すると、なんとこの若者に、小田原藩の家老・服部家の財政再建が託されるのです。
金融商品など無い時代ですから、財政を再建するには、地道に二つのことをするだけです。二つの道とは、経費削減と増収。増収に関しては次回に譲るとして、今号では、まず金次郎の経費削減の知恵を紹介しますね。
金次郎は服部家の邸で働く女中たちに、すすを持ってくれば買い取ると約束。彼女たちが邸の鍋や釜を磨き上げ、集めたすすを、金次郎が買い取ってくれるのですから、お小遣い稼ぎができた女中たちは笑顔になります。
一方、すすが取れた鍋や釜は、燃料効率が上がり、薪の消費が3割も減ったといいます。周りの人々を笑顔にしながら支出を減らしていくって、素敵なことですね。
およそ5年で服部家の財政を立て直した金次郎。次に託されたのは、桜町(現在の栃木県真岡市)の復興です。彼は早朝から深夜まで領内を巡回し、現状を分析して課題を明らかにするとともに、農民に声をかけて信頼関係を築いていったり、働き者を表彰したりして、人々の心も耕していきました。
しかしこの後、思いもよらない事態に見舞われます。続きは次回で……。