“布教実動の共有”を勇みの種に教祖の道具衆として日々おたすけへ – 長期密着ルポ 大阪・城東支部「布教所会」
2023・10/25号を見る
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教祖年祭の旬に、地域の教友たちが励まし合って、にをいがけ・おたすけへ―― 。
大阪教区城東支部(井手英彦支部長)では毎月27日、地域の教友十数人が集まり、『稿本天理教教祖伝逸話篇』の輪読や、お互いの布教実動の歩みなどを共有して勇ませ合う「布教所会」が開催されている。
同会に参加しているのは、日ごろからにをいがけ・おたすけに熱心な布教所長夫妻らだ。お互いの信仰実践について語り合う月1回の会合が、さらなる実動への“勇みの種”になっているという。
9年前、教祖130年祭へ向かう三年千日の旬に同会は始まった。これまで、おてふりや鳴物、地方などの修練や、『天理教教典』の学習など、さまざまな内容で実施。年に1度のおぢば帰り団参も行ってきた。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、一時は会合の自粛を余儀なくされたが、状況に応じて活動を継続してきた。
2022年9月27日午後7時。教祖140年祭へ向かう三年千日活動の指針となる「諭達第四号」が発布される1カ月前に実施された「布教所会」では、会場となった初華分教会(大阪市)の神殿に15人の教友が参集した。楕円形に並べられた机の前に参加者が座ると、西村惠至さん(73歳・大中心分教会浪速中心布教所長)の司会進行のもと、会合がスタート。全員で「おふでさき」を拝読した後、指名された二人が『逸話篇』を1篇ずつ拝読し、その後、にをいがけ・おたすけに歩く中で得た気づきなどを語り合った。
翌日、参加者たちは、それぞれに掛かっている布教実動の現場へ赴いた。多くの人々が行き交う街頭に立ち、自らの信仰の喜びを語りかける男性教友。身上を抱える人の元へ駆けつけ、おさづけを取り次ぐ女性教友――。
教祖の道具衆としての自覚を高め、たすけ一条の歩みを積極的に進める城東支部の教友たちに長期密着した。
教祖年祭へ向かう地域の教友“道を求める真実”が集う場に
いまから10年前、教祖130年祭へ向かう三年千日の初年。当時、城東支部長を務めていた中野誠二郎さん(74歳・初華分教会前会長)の声かけにより、西村惠至さん(73歳・大中心分教会浪速中心布教所長)を含む支部内の教友数人が中心となり、「布教所会」立ち上げの準備が進められた。
翌年5月、初の会合を持って以後、参加者の要望を取り入れながら、さまざまに活動内容を模索。参加者が年祭活動における布教実動への意識を高められるよう工夫を凝らしてきた。
以来10年。教祖140年祭の三年千日に入った現在は、「おふでさき」拝読後、指名された参加者が目を瞑って『稿本天理教教祖伝逸話篇』を開き、目にした逸話を拝読。続いて、参加者たちが『逸話篇』の拝読を通して気づいたことや、日々の布教実動で感じた喜びなどを思い思いに語る。
2022年9月27日、「諭達第四号」発布直前の「布教所会」では、『逸話篇』145「いつも住みよい所へ」が拝読された。次に、数人の参加者が自身の信仰の元一日や布教を志したきっかけなどを披露した。
この後、井手英彦支部長(65歳・旭志分教会長)の講話があった。
「おたすけに駆けつけたくて、しょうがない」 – 94歳の女性教友
真剣な面持ちで講話を聞いていたのは、藤本茂子さん(94歳・大倭分教会大道布教所長)。高齢の身ではあるが、日ごろから自転車で近隣の知人宅へおたすけに通い、おぢば帰りへ誘うなど、長年にわたり布教実動を続けている。
藤本さんは第1回から「布教所会」に参加してきた。
「普段のおたすけの現場で役に立つお話を聞くことができ、参考にさせてもらっている。支部の皆さんと、お互いに信仰実践について話し合うことで勇み心を頂ける。『布教所会』の参加者と誘い合って、一緒ににをいがけ・おたすけに歩くこともある」と話す。
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布教所長子弟として生まれ、小さいころから母親とにをいがけに歩いた。19歳のとき肋膜を患ったが、おさづけの取り次ぎによって鮮やかなご守護を頂いた。その感激から修養科を志願し、修了後は、ますます信仰実践に努めた。
22歳のとき、銭湯を営む未信仰の夫と結婚。ところが、夫の父親に信仰を猛反対された。そんな中も、買い物や映画館へ行くと偽って教会に参拝し、また、銭湯の利用客に『天理時報』やリーフレットを配るなどして、自身にできるにをいがけを心がけた。
どれほど反対されても熱心に信仰を続け、夫と子供たちにも教えを伝えてきた。結婚15年目に夫が出直してからも、午前中はにをいがけに回り、午後から銭湯の開店準備に掛かり、夜中まで番台に座る毎日を送った。やがて、時代の流れとともに銭湯を畳むことになったが、にをいがけ・おたすけは欠かさなかった。
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2023年2月22日、寒風吹きつけるなか、藤本さんは近所に住む友人Aさんを連れて所属教会の月次祭に参拝した。近所付き合いをきっかけに親しくなったAさんは、足腰が痛むと、藤本さんにおたすけを請う。数年前からは、所属教会に参拝するように。この日は月次祭参拝後、Aさんと教友のBさんと共に本部神殿へ足を運んだ。
4カ月後、夏を思わせる日差しが照りつける6月29日午後。藤本さんは、近所の友人Cさん宅へ向かった。数年前に患った帯状疱疹をきっかけに、左目の視力が極端に低下したCさんにおさづけを取り次ぎ、かしもの・かりものの教えを伝えた。
「未信仰の友人から調子が良くないと連絡が来たら、すぐにおたすけへ行かせてもらう。おたすけに動かせてもらえるのが本当に有り難い」と、しみじみ語る。
現在、にをいがけ・おたすけの合間に、地域の介護施設でのボランティア活動にも携わっている。施設で体調が優れない人がいると、本人の了承を得て、おさづけを取り次いでいるという。
藤本さんは「いそいそと、おたすけへ通っていた母親の姿を見て育ったからか、病人と聞くと、おたすけに駆けつけたくて、しょうがない。今月は所属教会の創立100周年記念祭があり、その先には教祖140年祭が控えている。元気に過ごせていることに感謝を申し上げ、一人でも多くの人を記念祭と年祭へお連れできるよう、喜び勇んでにをいがけ・おたすけに励みたい」と、かくしゃくと話す。
教友に背中を押され、路傍講演を続けて – 72歳の男性教友
6月28日午後6時すぎ。激しい夕立の後、涼しくなったJR京橋駅前の交差点で、「布教所会」の参加者の一人、勝田一敏さん(72歳・本部直属上町分教会守浜布教所長)が拡声器を手に教えを語りかける。
勝田さんは13年前から“自分にできるにをいがけ”として、同駅前を含めた数カ所で毎日のように路傍講演を続けている。
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信者家庭で育った。小学生のころ、母親がうつになったが、教会日参を通じてご守護いただいた。そのときの恩返しの気持ちで、自身も教会へ足を運んだ。
13年前、長年勤めた会社が経営危機に陥り、自身は退職。この節を通じて、これまでの通り方を振り返り、より積極的に信仰を求めようと修養科を志願。教会長資格検定講習会の前期と後期(当時)を受講した。このときの路傍講演をきっかけに、その後も自主的に路傍講演をするようになる。
8年前、教祖130年祭の前年に布教所を開設。同じころ、「布教所会」に参加するようになった。
「私にとって『布教所会』は、信仰について学ぶ場。普段は聞く機会が少ないおたすけの現場の話にふれられるので、とても勉強になる。『布教所会』に参加することで勇み心が湧き、思いも新たにして、日ごろのにをいがけに打ち込むことができる」
2022年8月、こんな出来事があった。その日は体調が優れず、にをいがけに出ようか迷ったが、無理を押してJR京橋駅前に立った。すると、50代の男性から「体調が良くないから、天理教の神様にお願いしてほしい」と声をかけられた。
「たすけを願う声を初めて掛けられたので驚いた。親神様から実動への後押しを頂いたような気がして、以来、一層勇んでにをいがけに取り組むようになった」と振り返る。
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この日、はっぴとネクタイ姿の勝田さんは、拍子木を打ち鳴らしながら「よろづよ八首」を奉唱。この後、自身の信仰の元一日である母親の身上をたすけていただいた体験談や、「元の理」「八つのほこり」にまつわる話を道行く人々に語りかけた。
勝田さんは「元来、路傍講演は苦手だが、親神様・教祖はもとより、『布教所会』で顔を合わせる教友たちに背中を押してもらうおかげで続けられている。教祖140年祭へ向かう三年千日、人さまのたすかりを願い、一層にをいがけに力を入れていきたい」と、力強く語る。
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「布教所会」の進行役を務める西村さんは「毎回、多くの方が熱心に参加してくださり、私自身も勇ませてもらっている。いまや参加者全員の“道を求める真実”が集う場になっており、こうした教友同士のつながりが、それぞれの日常の実動につながっていると思う。これからも変わらず活動を続け、布教者の横のつながりを一層広げていきたい」と話した。
文・写真=加見理一