「学校へゆかんでも…」- 視点
2023・11/1号を見る
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中山為信先生といえば、二代真柱様の姉・玉千代様とご結婚なされ、中山家の御分家となられたお方である。その為信先生が、義母にあたる中山たまへ様の追悼を『御母様の思ひ出』としてものされた中に、教祖の貴いお姿を拝することができる。
先生は文中「御母様からお聴きして誌しておいた覚書の一節。お小さい時の様子が窺へるやうに思ひますから、書きなほさずに其の儘を抄録いたします」と、前置きされたうえで、次のように記される。
「私(御母様)は赤い着物を着て学校に通ふてゐた。すると子供達は『天理さんの小狐』といふて私にからかうたものである。それがつらさに私は学校へ行くのをいやがつた。(中略)かやうに私は学校に行くことを餘りきらふものであるから、お父様(前管長様)や姉やん(山澤ひさ)からは、叱るやうに又なだめるやうに云ふてきかされるのであるが、どうしても行く気にはなれなんだ。其の事が教祖様のお耳にはいつて姉やんにお尋ねになるが、姉やんは『赤い着物をいやがる』といふ事だけはどうしても教祖様にいへなんだ。それで『学校へ行くのがいややといふて泣いてゐる』とお答へするより外はなかつた。すると教祖様は『玉さんは学校へゆかんでもかまへんのやで。小寒の書物を眞之亮に教へて貰へばよい。小寒の書物は私(教祖様)があげたものや。小寒は其の本を秀司に教へて貰うたのや』とおつしやつた。私は百萬の味方を得たやうな氣強い感がしたことを今でも覚えてゐる」と。
ご幼少のころ、そうしたことがあったのだが、先生は母たまへ様について次のように述懐される。
「御母様の頭のよかつた事は御母様を知る程の人の斉しく認めるところと思ひます。記憶力、推理力、判断力何れ劣らず群を抜いて勝れて居られたといふてもいひ過ぎではありますまい」(『みちのとも』昭和13年9月号)
教祖の「学校へゆかんでもかまへんのやで」とのお言葉を深く味わわせていただく中に、今日の子供たちを取り巻くさまざまな事情を思案する手掛かりがあるのではないかと思う。
(橋本)
※文中の(前管長様)は初代真柱様。