寄り添い 受け入れ 策を施す – 日本史コンシェルジュ
2023・11/1号を見る
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江戸時代後期、日本中が経済的疲弊に喘ぐなか、600を超える村々を救ったといわれる二宮金次郎。今回は、そんな金次郎も手を焼いた桜町(現在の栃木県真岡市)の振興の事例をご紹介しますね。
桜町は、耕地よりも荒地の面積が大きいという問題を抱えていました。そこで金次郎は、近隣から人を雇ったり移住を勧めたりして、人手を増やして新田開発に努めるとともに、農業用水を確保するため、用水路や堰を整備していきます。
しかし、農民の中には金次郎に反発する者も多く、改革は遅々として進みません。嫌気がさした金次郎は、成田山新勝寺で21日間に及ぶ断食修行をしたそうです。その間、金次郎は自分の立場を離れ、反発する農民の身になって考えてみました。
桜町には貧しさに耐えきれず夜逃げをする者も大勢いたのに、彼らは故郷に留まっている。桜町を愛しているのだ。そんな彼らが自分に反抗するのは、きっと過去に改革者を名乗る者が現れ、失敗すると農民に責任をなすりつけていたのだろう。そして自分も、そんな無責任な改革者の一人と思われたに違いない。
ここまで想像すると、金次郎の心に、彼らへの愛おしさが溢れてきました。ちょうどそのとき、自らの態度を反省した農民たちが金次郎を迎えに来ました。金次郎は告げます。君たちは悲しみの歴史を紡いできたね。その悲しみを一緒に背負わせてほしい。でも、悲しみを分かち合うだけでは現実は変わらない。共に歯を食いしばって、過去を超えていこう。
金次郎は問題にぶつかると、いつも相手を川、自分を水車に置き換えたそうです。水車は川の流れに沿って頭を突っ込みますが、半ばまで来るとグッと踏ん張り、流れに逆らうことでエネルギーを生みます。金次郎はまさに水車の役割を演じたのですね。
この水車と川の関係は、相手が自然でも同じことです。ある年の初夏にナスを食べると、なぜか秋ナスの味がしました。金次郎はこのあと冷夏になると判断し、苗を抜いて寒さに強い稗や粟に植え替えるよう指導しました。その予測は的中。冷夏で日本中が凶作となり、餓死者が続出するなか、桜町は一人も餓死者を出さずに済んだのです。
常に相手に寄り添い、現実を受け入れたうえで、対応策を施していく。金次郎が桜町に遺した足跡は、時代を超えて問題解決のヒントを与えてくれますね。