天理時報オンライン

安心して弱音を吐けるお互いに – わたしのクローバー


紙面レイアウト
で見る

三濱かずゑ(臨床心理士・天理ファミリーネットワーク幹事)
1975年生まれ

今年、ドラマをきっかけに有名になった言葉が「人生〇周目」です。昨年、体調を崩して死にかけていた私も、2周目の人生を与えられたつもりで、この1年を大切に生きてきました。

もう一つのたすけ合い

2カ月の入院から日常生活に戻ったばかりのころは、世界が明るく見えました。夫は優しいし、子供たちは可愛い。仕事も充実していて、「生きているって素晴らしい!」の連続でした。

けれども、そんな高揚した日々は長くは続きませんでした。1歳年をとった分だけ体力が落ち、老眼も進みます。栄養不足と不眠の反動から、筋肉が落ちて5キロも太り、常に眠気に襲われるようにもなりました。

そこで、「元の暮らし」に戻ることを諦め、この体に合わせて生活習慣や心の持ち方を改めました。家事や仕事も一人で抱え込まず、家族や周りの人に助けを求めるようにしました。

その結果、人に優しい言葉をかけたり、笑顔で接したりすることが、自然にできるようになりました。こうして、48年の人生で最も忙しかったこの1年を、心穏やかに過ごすことができました。

以前の私は、人のために無理をすることを美徳と思い、寝食を削ることも厭いませんでした。教育者や宗教家にも同じような人が多くおられるかもしれませんが、自分が無理をしていると、無意識のうちに相手にも「頑張る」ことを押しつけてしまいがちです。

また、そんな生き方は体を壊したり、家族にしわ寄せがいったりして“持続可能”ではありません。誰もが心と体に少し余裕を持ち、ほかの誰かの「一大事」に備えておくことが、もう一つのたすけ合いの姿だと今は思います。

新たな使命を与えられ

何か予期せぬ出来事に見舞われたとき、誰もが「どうしてこんなことに……」と、過去にさかのぼって原因を探ろうとします。そして、後悔や自責の念を募らせたり、誰かを恨んだりして、出口が見えなくなる人もいます。

私たち“心の仕事”に携わる者は、悩む人の「どうして?」を受けとめ続ける一方で、「この出来事をきっかけに、これからこの人はどう変わっていくだろう」と、その意味や可能性に思いを巡らします。そして「あの出来事のおかげで」と思えるような未来が訪れることを願うのです。

誰にも話さなくてもネットで簡単に「答え」が見つかる今の時代、「良かった探し」や「レジリエンス」(精神的回復力)が強調されるあまり、心に漂う「ああでもない、こうでもない」が行き場をなくしているように思えてなりません。

最近、自分の体験をお話しする機会が増え、たくさんの闘病記を読みました。その中で、心に残った言葉があります。

イラスト・ふじたゆい

「しんどいときに弱音を吐かない人ほど、急に心が折れる。逆に弱音を吐く人ほど、困難な状況を乗り越えられることが多い」

一人きりで強がるのではなく、安心して弱音を吐けるお互いの関係を広げてゆくこと。それが「人生2周目」の私に与えられた、新たな使命だと思っています。