利便性が求められる中も – 視点
2023・12/20号を見る
【AI音声対象記事】
スタンダードプランで視聴できます。
”米どころ”新潟では近年、米の消費に変化が見られ、ある意外な食べ物の消費量が伸びているという。
それは「カップ麺」。総務省の家庭調査によると、1世帯当たりの「カップ麺」の支出額が、52の政令指定都市・県庁所在地で新潟市が日本一に。一方の米は、平成21年から23年までの年間の支出金額は全国2位だったが、平成30年から令和2年にかけては29位にまで落ちたという。
その理由として「カップ麺は手軽に食べられるが、米は炊くのに時間がかかる」「カップ麺は単価が大きく変動しないが、米は変動が大きいため消費者が買いづらい」「カップ麺は日持ちする」などさまざまあろうが、定かではない。
こうしたなか、ある米の売り上げは伸びている。それは「パックごはん」で、全国で生産量が年々増加している。
これらのことから浮かび上がるのは、米の消費自体が大きく落ち込んだり、それにカップ麺が取って代わったりしたのではなく、現代人の生活スタイルが変化し、より利便性や手軽さを重視した食生活になっているということだ。働き方が変化し、家族そろって食事を取る機会が少なくなったり、一人暮らし世帯が多くなったりする中で、時間がなくてもおいしいご飯をすぐに食べたいという需要が増えているのだろう。
生活様式や人々が求めるものが変化する中で、私たちが教えを伝える手段も、よくよく考えなければならない。時代に即した布教の形を模索するのは当然、必要なことである。
ただし、教えを伝え、人をたすけていく過程においては、ある程度の時間が必要になる。伏せ込みも大切であり、修理肥は不可欠である。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』には、教祖に直接お目にかかった先人たちの話がたくさん載っている。教祖はまず、その人の憂いを取り除かれ、安心安寧を与えられた。そこが出発点であり、信仰初代の方々は、いつもそこに立ち戻り、心の支えとして白熱の信仰を守っていかれた。
私たちも”即席のご守護”を願うことに終始せず、長い時間をかけて心を耕していく成人への道を、着実に歩んでいきたいと思う。そして、じっくり時間をかけて人々と語り合い、寄り添っていく心を持ち続けたい。
(永尾)