第7回「おさづけ」- 輪読会「いつもの暮らしに『諭達』の心を」
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第17期 読者モニターアンケート企画
「諭達第四号」のお言葉をもとに、読者モニターたちが自身の体験や考え方を交えながら、三年千日の歩み方について語り合う輪読会。第7回のテーマは「おさづけ」。「諭達」の中で、「病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される」と示される。ようぼくお互いは、日ごろから教祖の道具衆としておたすけの心を持ち、身上を抱える人におさづけを取り次がせていただくことが肝心であろう。そこで、今回は「おさづけ」にまつわるエピソードを、読者モニターに寄せてもらった。
素直な心で取り次ぎを受け
田岡利依さん
46歳・東三分教会ようぼく・天理市
二十数年前、長女の出産を前に体調を崩しました。
そのとき、夫の両親がわざわざ遠方から訪ねてきて、「おさづけを取り次がせていただこう」と言ってくださったのです。
信仰熱心だった祖父母から「おさづけを取り次いでもらえるのは、たすかりを願ってくださる人がいるからこそ。もし、取り次いでもらえる機会があったら、素直に受けて、感謝するように」と教えられていたので、義父母に感謝を申し上げ、おさづけを取り次いでいただきました。
すると、鮮やかにご守護を頂き、その後、無事に長女を出産。助産師や看護師の方々は、口々に「不思議だ」と話していました。
その後も二人の娘をお与えいただき、これまで大きな身上もなく元気にお連れ通りいただいています。おさづけの尊さをあらためて感じるとともに、ご恩報じの心で陽気ぐらしの実践を目指そうと、心を新たにしています。
「あなたの手はほかの人と違う」
生駒優子さん
54歳・名愛分教会ようぼく・名古屋市
10年ほど前、身上で入院した際に、未信仰のAさんと知り合いました。同室のため、すぐに仲良くなったのですが、私が天理教の信者であることを伝えられずにいました。
そんななか、ある日、Aさんのたすかりを願って、患部に手を当てながら、心の中で「なむてんりわうのみこと」と唱えさせていただきました。すると、Aさんが「あなたの手はほかの人と違う」と言うのです。そのとき、私が天理教を信仰していること、病気の回復を願うおさづけという祈りがあることを伝えました。そのうえで、Aさんにおさづけの取り次ぎを申し出ると、快諾してくれたのです。以来、毎日お取り次ぎをさせていただきました。
Aさんは退院後、何度かおぢばへ帰り、別席も運んでくださいました。重い身上を患うなか、すがる思いでお道の教えを求められたのだと思います。残念ながら数年前に出直されましたが、親神様は、あのときの私の手を通じて彼女をお道に引き寄せ、最期にAさんの心を救ってくださったのだと信じています。
子の身上通じて成人促され
雨野誠子さん
48歳・豊郷分教会教人・福岡県北九州市
親として子供におさづけを取り次ぐときが、信仰的に大きく成人させていただける機会だと思います。
9年前、2歳の長男が急に高熱を出しました。「まずはおさづけを」と、青ざめた息子に必死に取り次がせていただきました。その後、病院へ行き、診察の合間にもおさづけを取り次ぎ、たすかりを願いました。お取り次ぎを続ける中で、親神様が必ずたすけてくださるという安心感に包まれたことを、いまでも覚えています。息子の熱は、すぐに下がり、親神様にもたれて通れば、ご守護を頂けると確信した貴重な経験でした。
子供の身上には、親を信仰的に成人させたいという親神様の親心が込められていると感じます。いま、子供がすくすく育っていることに感謝しながら、信仰の実践に努めていきたいと思います。
亡き父への最後の親孝行
平澤俊一郎さん
53歳・磐城平大教会ようぼく・埼玉県草加市
亡き父が入院していたころのこと。脳梗塞を患い、医師から「そう長くない」と告げられていた。あるとき私は、病床の父の姿に居ても立ってもいられず、大教会へ足を運んだ。
突然の訪問にもかかわらず、大教会長様は、すぐにお願いづとめを勤めてくださった。そのさなか、涙がボロボロ流れ、勤め終えたときには不思議と心がスッキリした。そして、大教会長様からおさづけを取り次ぐ際の心構えを、あらためて聞かせていただいた。
その後、病院へ戻り、父に大教会での出来事を話した。すると父は、ベッドに横たわりながら手を合わせ、おさづけを取り次いでくれと言う。私は誠心誠意おさづけを取り次がせていただいた。
父は危険な状態に5度も陥りながら、1年半もの間、長生きしてくれた。お道が大好きだった父に、おさづけを取り次がせていただいたことは、最後の親孝行になったと思っている。
おさづけは布教の第一歩
中村盛彌さん
76歳・大成分教会大中布教所長・東大阪市
26年前、仕事の関係で70歳の女性と知り合った。
あるとき、その方が「自転車を運転中に転倒してから、物が二重に見えるようになった」という。「これは大変だ」と思い、初めて天理教を信仰していることを伝え、早速おさづけを取り次がせていただいた。
以来、時間をつくっては彼女の自宅へ通い、おさづけを取り次いでは、お道の話をした。すると、半年ほど経ったある日、「ちゃんと目が見えるようになった」と喜びの声を聞かせてくださった。いい機会だと思い、おぢば帰りにお誘いすると快諾された。
おぢば帰り当日は、本部神殿の荘厳さに感激した様子だった。その後、別席を運び、おさづけの理を拝戴。現在は施設に入所しておられるが、元気に過ごされている。
おさづけの取り次ぎが布教の第一歩になった、忘れられない思い出である。
40年前の手の温もり鮮明に
関本 啓さん
72歳・鶴賀城分教会長・福島県会津若松市
40年前、本部勤務をするなか、右肩に痛みを覚えて受診した。すると、「胆のうに大きな胆石ができ、胆のう炎になっている」との診断を受けた。
この節に込められた親神様の思召を悟ろうと、「憩の家」事情部を訪ねた。いまとなっては、そのときの詳しい話は覚えていない。しかし、おさづけを取り次いでくださった先生の、手のひらの温もりは鮮明に覚えている。
数年後、教会に戻り、病院を受診したところ、胆石はきれいに消えていた。それまで異常なく生活していたので実感はなかったが、「教祖のお働きだ。おさづけの効能は確かなんだ」と、あらためて思った。
教祖140年祭へ向かう残りの期間、たすけていただいたご恩を胸に、病む人に積極的におさづけを取り次がせていただきたい。
みんなのイチオシ
1月17日号から2月7日号までの紙面の中から、読者の関心が高かった“イチオシ記事”について、寄せられた感想を紹介する。
親里の“新春の風物詩”「お節会」に4万9千人(1月17日号4・5面)
久しぶりに本部「お節会」に帰参した。帰参者だけでなく、迎え入れるひのきしんの人たちも笑顔になれるのが、「お節会」の素晴らしいところだと感じた。(20代男性)
いつかまたおぢばへ帰り、家族そろってお節会に参加したいと思うとともに、年祭活動2年目も頑張ろうという気持ちになる、心に残る特集でした。(40代女性)
コロナ前に近い形式で「お節会」が開催されたことは、まさに関係者の一手一つの賜物だ。教祖140年祭活動への励みを頂いた。(70代男性)