パソコンかガリ版か – 世相の奥
2024・4/17号を見る
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昔からある組織の、古い記録を知りたくなることがある。さぐると、よくガリ版ずりの書類にでくわす。かつては、コピーがゆきわたっていなかった。だから、謄写版の原理で、多くの書類は印刷されていたのである。
謄写用紙に鉄筆で刻字する。ガリ版と言われた鉄版に用紙をのせ、その上から字をきざむ。そうしてできあがった原紙を土台にして、複数の資料、書類を製作する。孔版印刷の一種だが、鉄版の通称にあわせ、この手法はガリ版ずりとよばれていた。
と、こう書いても、若い人にはなんのことだかわかるまい。むなしい説明をしてしまったような気もする。とにかく、複数の人びとへくばる書類をこしらえるのは、たいへんな手間だった。そのことだけでも了解してほしい。
さて、今の書類作りは、あのころとくらべ、たいそう楽になっている。なにしろ、パソコンとプリンターを駆使すれば、すぐにできあがる。大部な書類の束をひねりだすことだって、そうむずかしいことではない。私も、いくつかの会議では、毎回一冊の本にも匹敵するボリュームの書類をうけとっている。
パソコンはオフィスに情報革命をもたらしたんだなと、痛感する。その点では、利便性の向上を、ありがたく思わなければならないのかもしれない。
ただ、こまることもある。会議のさいに、大部な書類をわたされても、とうてい読みきれない。何か質問はないかとたずねられても、返答にこまる。読みとおせないので、問いようがないというような場合が、ままある。読みきったようなそぶりをするのも、つらい。
なるほど、遺漏なく多くの情報をもりこむという点では、昔より便利になった。しかし、どこが書類の勘所なのかは、以前よりわかりづらくなっている。
もういちど、古い話をむしかえす。ガリ版の用紙へ鉄筆で字をきざむのには、骨がおれた。時間もかかる。ぶあつい書類はつくれない。会議では、数枚の用紙しか手わたせないというのがふつうであった。
しかし、往時の書類は要点がわかりやすい。大事なところしか書かれていないので、目くばりはしやすかった。枝葉末節まで書ききれなかったので、おのずと全体の見取図はのみこみやすくなる。情報革命には、オフィスをうんざりさせている面だってありそうだ。
井上章一・国際日本文化研究センター所長