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基本を身につけ、基本を出る – こころに吹く風の記


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「格に入りて格を出ざる時は狭く、また格に入らざる時は邪路にはしる。格に入り、格を出てはじめて自在を得べし」

(松尾芭蕉『俳諧一葉集』)

私がまだ大学生のころの話です。大学の授業というのは教養教育と専門教育があって、教養教育の中に体育の授業がありました。

あるとき、体育の教官が授業の途中で学生を集めて突然、話を始めました。木陰で車座になった私たちは、まるで青春ドラマのワンシーンのように教官の話に耳を傾けました。そのときに教官が引用したのが、冒頭の芭蕉の言葉です。

「この言葉は、俳句を作るときの格言として伝えられています。いいですか。格というのは基本のことです。すべてのことは基本を身につけないといけません。しかし、いつまでも基本にこだわっていては“狭く”なる、と芭蕉は説きます。つまり基本を身につけても、いつまでもその基本から出ないでいると、応用が利かないというわけです。

そうかといって最初から自由なことばかりやっていると、それは“邪路”すなわち邪道に走ることになります。格に入り格を出る。基本をしっかり身につけつつ、それを実際に応用できるまでに使いこなす。それが“自在を得る”ということなのです」

教官はスポーツの基本について話をしたかったのだと思います。しかしなぜか、このお話はずっと私の心に残り、いろんな出来事に遭遇するたびに、この話の通りだなと思う場面が増えていきました。

たとえば書道。有名な書家の筆跡をまねて、それらしく書いたつもりでも、素人が書いた書はすぐにそれと分かります。楷書が書けない人に行書や草書は書けません。書家が書く、あの形にとらわれない美しい字は、楷書やかなの稽古を何度も繰り返し、筆順も含めて基本通りに書くことによって初めて身につきます。

そして、いったんその基本を身につけて行書や草書の世界に入ると、たちまち自由な芸術の世界が見えてきます。草書や崩し文字の世界は、時に、あれほど叩き込まれた厳格な筆順さえどうでもよくなり、最終的に形が合えばオーケーとなります。「本」という字は崩し字にすると、とんでもない筆順になっていますよね。楷書と同じなのは一画目だけです。

基本を修めなければ良い字は書けない。でも、基本通りでは発展がない。それを見事に言い表しているのが、冒頭の芭蕉の格言であるように思います。

そしてそれは、私たちの生活にも言えることだと思うのです。

朝起きて「おはよう」とあいさつをする。食事のときに「いただきます」と言う。食べ終わると「ごちそうさま」。家を出るときは「行ってきます」。子供のころから、こういう基本をしっかり身につけさせることが大切で、それができて初めて家族のコミュニケーションが成り立ち、もっと複雑なコミュニケーションにも発展するのではないでしょうか。

時には家族の「おはよう」という、あいさつのトーンやイントネーションから、重大な心の変化を読み取ることができるようになる。あるいは、相手がちょっと問題を抱えていそうだなと気づいたら、あえて「おはよう」から入らずに順番を変えて、ちょっと変化球を投げてみる。最終的に相手が元気になったらオーケーなのです。

家族に限りません。学校でも職場でも、あるいは近所付き合いでも、言葉づかいやマナー、日常の態度など、生活の基本がしっかりしている人は、付き合っていて気持ちのいいものです。

基本的なマナーも態度も身についていない人が何を言っても、それは「邪路」としか受けとめられません。そういう「格」に入った人だからこそ、時には「格」を出て自在を得る。こういう自在の空気の操り方ができる人を「人間力のある人」「包容力のある人」というのではないか、そう思います。

天理教には「人をたすけて、わが身たすかる」という教えがあります。生活の基本は「何事も人さまのために」という教えです。

私もそういう「格」に入ることを目指しています。


茶木谷吉信(1960年生まれ・天理教正代分教会長・教誨師・玉名市元教育委員)


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