能登を目指す若者たちに思う – 視点
2024・12/18号を見る
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金曜の夜、仕事を終えた教内外の若者たちを乗せたミニバンやマイクロバスが能登を目指す。関西からでは7、8時間で到着し、車で仮眠をとって夜が明けると作業にかかり、夕方までには帰路につき、日曜に日付が変わるころ帰宅する。現地に一泊することもあるが、多くは24時間の弾丸ツアーである。このやり方は震災発生当初から続いており、炊き出しや倒壊物の片づけ、さらに豪雨災害で家屋に流れ込んだ土砂の搬出など、こまやかに対応している。
教会や教区などの組織的な救援活動とは別に、仕事の都合で所属する団体を問わない有志らであり、ほかの被災地と同様にこうした参加者の延べ人数もかなりの数に上っているという。筆者がお預かりする教会からも常に数人の男女が参加している。
ただ、往復に15時間以上をかけて、広大な被災地に少人数で限られた時間、限られた作業をすることに、当初筆者は合理性を問う気持ちがあった。が、「いや、そうではない」と思い直した。教祖ひながたの難渋たすけの場面が浮かんだからである。『稿本天理教教祖伝』には「生計が苦しい時でも、その中から、食をさき着物を脱いで、困っている者に与えられるのが常であった」とある。
恐れながら、当時の凶作や飢饉の規模からすれば、教祖の施しは細やかであったかもしれない。しかし、大切なのは合理性よりもその「心」ではないだろうか。ひながたによって示された「人をたすける心」に人々が目覚めることを、ご存命の教祖は唯々待ち望んでおられるのではないだろうか。「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん」とお教えくださるように、「難儀なる者の味」は決して空想で計り知れるものではないだろう。ただ、ひたすらに夜を走り、難儀なる者に繰り返し寄り添うことで、わずかなりとも「難儀なる者の味」を察することができるのかもしれない。
偶然とは到底思えない大節をお見せいただいた元日から1年が経とうとしているなか、金曜の夜、繰り返し能登を目指す若者たちが一つの示唆を与えてくれた。
(橋本)