親里に秋の気配 “美しい色”に染まる人生 – 逸話の季
8月です。雨の多い年ですが、まだ暑い日が続きそうです。
若いころは夏より冬のほうが好きでした。早朝の冷たい空気と静けさを求めて、よく寒い日に戸外を散策したものです。しかし、人生の後半に近づくにつれて、大音量の蝉の声や、照りつける日差しを愛おしく感じるようになってきました。五感を刺激する音や、体から吹き出す汗に、今ここに生きている自分をより強く実感するからでしょうか。
*
慶応元(1865)年8月、教祖は大豆越村の山中家にお入り込みになりました。そのとき、家の東側を流れている小川に染物に良い泥があるとお気づきになり、所望なさったので、たびたびお屋敷へ運ぶようになります。
教祖が「明朝、染物をせよ」と仰せになっているのを知った山中忠七は、未明から準備して泥や布地を背負ってお屋敷へ帰り、井戸水に浸して見事な染物を仕上げたことがたびたびあった、と伝えられています(『稿本天理教教祖伝逸話篇』「一四 染物」)。
*
布地に泥土を塗って「ぢば」の地点の艮(東北)にあった井戸の水に浸し、乾かしてはまた浸すという工程を繰り返すと、布地は綺麗なビンロージ色に染まったそうです。
染物の経験のない筆者には分かりませんが、きっと、このような手法で染められた布地は、いつも同じような色合いに染まらなかったのではないでしょうか。自然の要因が結果を大きく左右する作業では、なかなか人の思い通りに物事は運びません。
*
ある目標を定めて努力を積み重ね、綿密な計画を立てて活動の準備をする。人の営みの多くは、いつも未来の予測と期待を前提にしています。しかし、必ずしも結果が予想通りになるとは限りません。特に昨年来、人が未来を予測できないことをあらためて痛感しています。
とはいえ、一人の「ようぼく」としては、教祖のご期待に応えられるような、“美しい色”に染まる人生を歩みたいものです。世界を変えることは容易ではありませんが、今日の自分の生き方は、自らの意思で変えることができるのですから――。
文=岡田正彦
この写真をプレゼントします。詳細はこちら